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老後の貯蓄も大切だが、そのために「今」をおろそかにしてはいけない

■ 「老後2,000万円問題」に振り回される人々


5年ほど前に「老後2,000万円問題」なるワードが注目された。

これは65歳で退職して、その後30年間を生きると仮定した場合に2,000万円が不足するという試算に基づいている。

「95歳まで生きるつもりなのか」という突っ込みもしたくなるだろうが、長寿国である日本において、誰しも90歳を超えて生きている見込みを立てるのはおかしい話ではない。

そこで健康やお金のことを気にするのは自然であるし、健康で言えば医療費だって結局はお金の話になるわけだから、貯蓄や資産に目を向けることになるのだって自然である。

しかし、お金のことを気にするのは理解できるが、ここで話がおかしくなるのは「投資をしなければ」「資産運用はどうすればいい」という思考になることだ。

このような思考になるのは、この2,000万円問題というワードが出てきてから投資会社や金融機関がこぞって喧伝するからだろう。

一方、将来に不安を抱いている人たちは自力で何とかしようとする術を持たないため、投資や資産運用を代行してくれるビジネスに飛びつく。
これはそれまで「お金は頑張って稼ぐもの」「投資なんてギャンブル」という認識だったことから、自分の資産の増やし方を考えてこなかった結果とも言える。


■ お金があれば「生きている」と言えるのか?


それに対して別に批判するつもりは毛頭ない。他人の資産がどのくらいあるか、他人が投資をしようかしまいかなんて興味はない。投資会社や金融機関の代行サービスを利用するのだって好きにすればいいと思う。

ただ、介護という仕事を通じて、70歳以上の高齢者の方々の生き方や生活環境を見てきて思うことは、お金だけではないように思える。

予め強調しておくのは「お金だけではない」という点だ。
お金は確実に必要である。この社会を生き抜くには、お金という共通対価は手元になければいけない。

しかし、何とか2,000万円を捻出できたとしよう。
それだけで果たして「生きている」と言えるのだろうか?

もちろん、最低限の衣食住があることは大切である。「生きているだけで丸儲け」というフレーズがあるが、食べることができて、寝る場所があって、気温に適した衣服があれば、それだけで満足できるのだろうか?

おそらく、そうではないと思う。

私は介護施設を運営しているが、介護施設は最低限の衣食住が保証されている。そこでは施設としての利用料や介護保険サービスにおける費用は発生してるわけだが、そこに住まう高齢者全員が生き生きしているかと言えば残念ながらそうではない。

介護施設の職員が、どんなに1人1人の尊厳に配慮し、役割や生きがいを与えたりコミュニケーションを図ろうとしても、不満そうな方はいる。

退屈そうな高齢者もいる。
他人と関わることを避ける高齢者もいる。
まるで鳥かごに閉じ込められたように絶望している方もいる。

衣食住が確保されている中で生活する中で、このような様々な高齢者のあり方を見ていると、仮に2,000万円で何とか生活できることが確実となっても、おそらく「生きている」とは言えないと思う。


■ 2,000万円を貯めるよりも大切な「今」


――― もしかしたら、2,000万円を貯めることよりも大切なことがあるのかもしれない。

そう思ったときに、お金だけではなく次のような生き方・あり方も大切ではないのかと思ったのだ。いや、「生きている」という観点からすればある意味でお金よりも大切なことかもしれない。

① 人との関わりを大切にすること

② いつも楽しそうにしていること

③ 「今」のためにお金を使うことも大切

④ お金に執着しすぎないこと


・・・これらに共通していることは「今」である。

私たち人間は、発達した脳のおかげで色々なことを思考し、シミュレーションすることができる。しかし、そのおかげで先々のことばかりに対策を立てることに労力と時間をかけてしまうことが多い。

そして大切な「今」を犠牲にして、気が付けば・・・

「やりたかったことをやっておけばよかった」
「もっと身近な人たちを大切にすればよかった」
「イライラしてばかりで笑うことがなかったな」
「お金はあるけれど、それだけの自分だ」

・・・という人たちも少なくない。

説教臭いことを言いたいわけでないが、私たちは「今」を生きるしかないという真実がある。

老後のためのお金も大切だが、老後のために「今」があるわけではない。

「今」は「今」のためにあるのだ。考えるならば、せいぜい1年後くらいが関の山だと思う。

それに、この目まぐるしく変化する世の中において、その時点において準備万端にできたとしても、3年後・5年後・10年後、30年後・・・となったら世の中は変わり果てている。

予測困難な将来のために「今」を消費してまで準備をするのは、果たして適切なのだろうかと思う。

――― 別に刹那的に生きたり、時間やお金を浪費しようと言いたいわけではない。将来への備えを無駄と言いたい訳でもない。

将来のことばかりに目を向けて「今」をないがしろにするのは違う気がする。それを「老後2,000万円問題」から思ったしだいだ。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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