「頼る」というのもエネルギーがいる。「頼られる」ためには日常の関係づくりと努力が必要
■ 「頼る」ためには「準備」が必要
忙しそうにしている人を見て「一人で頑張らずに手伝ってもらえばいいのに」「あの人はもっと周りを頼ればいいのに」と言う人がいる。
これは私もたまに言われることがある。介護サービス事業において、現場業務や運営管理、経営、人事などを総合的に動いていると、慌ただしい雰囲気が態度に出てしまうことがある。
しかし、だからと言って人の手を借りるというのは難しい。
それは「他人に頼ることが苦手」「他人に手を出してほしくない」という理由ではない。むしろ、手伝ってくれるなら喜んでお願いするし、手を出してほしくないどころか丸投げしたいくらいだ。
では、なぜ他人を頼ることをしないのかというと、それは「他人に頼るための準備」ができていないからだ。
■ 頼れるだけのスキルや理解度が前提
では、「他人に頼るための準備」とは何か?
例えば、手伝ってもらうためには、相手にスキルや理解度が備わっていることが前提となる。
「手伝おうか?」と言われたとき、平時において自分と同じ仕事をしている人ならば、その仕事を遂行するだけのスキルや情報が共有されているのでお願いしやすい。
しかし、「何か手伝えることはある?」と言われたとき、その相手が自分の仕事を手伝えるだけのスキルや理解力があるか不明なときがある。
仮にそこでヘルプに入ってもらったとして、そこから「これどうすればいいの?」「ここが分からない」と質問が出るようであれば、下手したら1から説明することになる。
手伝ってもらう立場で申し訳ないが、これは時間のロスだ。切羽詰まっている状況下で新人教育をしている余裕はないというのが本音だ。
このようなこともあり、せっかくの申し出を受けても「大丈夫」と言って一人で頑張る人がいるのだと思う。
■ 頼るためには「余裕」も必要
ここで「余裕がない」という言葉を使ったが、切羽詰まっているときは余裕がない状態である。
忙しそうにしている人に「何か手伝おうか?」「もっと周りを頼れよ」と声を掛けたときに「ああ、大丈夫大丈夫」「あー、ゴメン。今話しかけないで」と言われたときはないか?
せっかくの申し出を雑に扱われたと思って「せっかく手伝ってあげようとしたのに何だあの態度は!」「心配して損した!!」「勝手にやればいいよ」などと憤慨したことだろう。
しかし、それは単純に「余裕がない」だけだと思ったほうが良い。
他人に関わっているほどの余裕がないときに「手伝ってもらう」「周りに頼ろう」などという思考にはなりにくい。
仮に余裕がない状態で手伝ってもらったり、他人に頼ったとしても「では、何を手伝ってもらおう」「どのように作業を割り振りしよう」となったときに余裕がないため正常な思考ができない。
むしろ、相手にお願いする作業内容を考えたり、作業分担をするとなったときのスケジュールの見直しをすることにもなるので、余計に余裕が奪われかねない。
逆に言えば、手伝ってもらう・他人に頼るためには余裕が必要であり、その余裕をもつための「準備」が必要なのだ。
■ 頼られるためには、日常で「準備」が必要
なんだかひどい話ばかり続いたが、せっかく頼ってもいい人が登場したとしても、切羽詰まっている人にとって「この人は頼るに値する人か?」という検討をして、その相手を受け入れるためには相当のエネルギーが必要であることはご理解いただきたい。
もちろん、困っている人に手を貸したいという心掛けは尊ぶべきである。
しかし、その相手からしたら切羽詰まって余裕がない状況で、それを受け入れる体制にないことも考慮して声をかけたほうが良い。
忙しそうにしている人が、普段そこまで関わらない間柄であり、かつ相手が既にバタバタしている状況ならば、下手に「手伝おうか?」「もっと頼れよ」なんて言ったとしても無下に扱われる可能性もある。
もしも、身近にいつも慌ただしく動いている人がいて、いつも心身をすり減らしている状況を何とかしたいのであれば、そのときは「頼られる存在」になるための準備が必要である。
困っている人を手伝うためにも、その相手との関係性は必要である。
切羽詰まっている人に頼られるにも、それ相応のスキルと理解度は必要だ。
それを日常で養っておくことで、その相手が少し忙しそうなとき、自分に余裕があれば切羽詰まる前に「手伝おうか?」「おいおい、少しは頼れよ」と言うことで、相手も頼りやすくなる。
「頼るための準備」と「頼られるための準備」がマッチしたとき、頼る・頼られる関係性が成立する。
――― 本記事を読んで「上から目線だな」と思われた方もいるかもしれない。大変そうだから手伝ってあげようとしている立場からすると、そう思うことは自然だと思う。
しかし、冒頭でもお伝えしたように私も「手伝おうか?」「もっと周りを頼ればいいのに」と言われることがあるが、いざその申し出を受けたときに、その親切心が困ることがあるのだ。
そこで「今の状況でそれを言われてもな・・・」と思って断るわけだ。
一方、いつも忙しそうにバタバタしている人を見ると、私も手を貸したくなることはある。
しかし、相手にそれを急に言ったところで、すぐに受け入れられない状況であるだろうという様子と心情も伺える。
だからこそ、そのような相手がやっていることを平時から把握しておいて、「たまに忙しそうだから、急に休んだときも想定して手順を教えてもらえる?」と打診することで関係性とスキル構築をするようにもしている。
頼るのも頼られるのも独善的になってはいけない。
お互いに余裕を持った仕事をしたいものだと思う。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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