見出し画像

前向き、建設的に、より楽に生きるための3つのこと (続き)

心理学を中心に、
学んでいることの自分のための復習回。(続き)

「人間関係」で悩んだ経験ってないでしょうか。
家庭や、友人関係や、職場など
些細なことが気になったり、傷ついたり
ついカッとなってイライラしたり、
時には責めたり、責められたり

それらの多くは、解決できたり、
また程度は違えど、緩めることができる
感情に振り回されず、建設的にもなれる方法があります。

その方法は多数あり、諸説ありですが、
特に大きなものを3つあげていきます。


前回のはこちら


昨日は一つ目の
①人の世界はそれぞれ違うことを認識する
だったので、今日は残りの二つについて。

二つ目は、
②行動や出来事と、その人自身をくっつけない
こと


自分が「良くない」「やってはいけない」
思っている行動を誰かが行うと、
「その人自身」を否定したくなる
そんな経験、少なからずあるのではないでしょうか。



例えば、転勤した時の実体験なのですが。
信号無視をする人は、
良い人なんでしょうか、悪い人なんでしょうか。


「信号やルールをしっかり守る環境」で育ったAさんは、
「信号を守るのは良いこと」「信号無視は悪い事」
という「価値観」を持っています。

だから、仮にBさんが信号無視をすると
「Bさんは悪い人」だと決めつけたくなります。


一方、Bさんが育った環境は、
信号は必ずしも守るべきではなく、
完全に車もいないのに信号を待って、
時間を無駄にする方が「悪い」という地域でした。
信号無視をするBさんは、「悪い人」なのでしょうか。


例えば信号無視が悪いと「今」思っているAさんが、
もし小さい時から、Bさんの住んでいた地域で育ったら
Aさんは信号無視に対してどう思うのでしょうか。

Aさんも、Bさんも、
その人自身は、良いも悪いもない。

育った環境や、経験や、言われてきた言葉が、
その人の価値観、解釈や、パターンにもなる。
つまり環境によって、AさんもBさんになり得るということ。

行動はその人自身の、人間性や人格に思えますが、
行動や出来事は、その人自身ではないのです。

同時に、人は誰でも、今ここから、
変わることができる
ことを意味しています



行動や出来事と、その人自身をくっつけない って
では具体的にはどうしたらいいのか?

ある心理学には
「ニューロロジカルレベル」という考え方があります。

自己認識(私は〇〇だ)
価値観(◯◯は、××だ。~すべきだ。)
能力(◯◯することができる)
行動(◯◯をやった。言った)
環境(◯◯の環境だ。周囲は◯◯だ)


この5つがそれぞれ存在し、
上位のもの(①自己認識が上位)が
下位のもの(⑤環境が下位)に影響を与える。
(正しくは①自己認識よりも上位もあります)


非常に多くの分野で活用されていますが、
その中のごく一部の、簡単な方法が、
これらを分けて考える、分けて見る
ということです。


Aさんの信号の例で言えば、
②価値観(信号無視は良くない)を持っている。
③能力(信号無視して歩くことはできる)はあっても、
④行動(信号無視しない。無視する人を責める)が決まる。
⑤環境(ある環境でその価値観が作られた)が理由だ。

例えばAさんから見て、
Bさんは望ましくない行動「信号無視」をしたとしても。
Bさん自身 は、決して悪くない(同時に良いわけでもない)。

Bさんは信号無視と言う「行動」をしただけです。
Bさんの「価値観」があったからです。
それはBさんの育った「環境」の影響であり、
AさんもBさんも、歩いて信号を無視するという「能力」は持ち合わせています。
つまり、
「環境」が違って、「価値観」が違っていたら、
AさんもBさんに、BさんもAさんになり得る。
「その人自身」は良いも悪くもないんです。


だから、その人の行動はその人自身ではなく
何かやったとしても、それはただの「行動」
そして価値観や、環境を見れば、
「この人はそういう考えなのね」
「そういう背景なのね」
であり、
「なんでお前という人間は◯◯なんだ!」と
憤ったり、人を否定したり、怒りで精神を消耗する必要はない。

でも、分けて考えずに
「行動や出来事と、その人自身をくっつける」と
Bさんは悪い人間だ。ダメな人だ。
という感覚が生まれてしまう。

いわゆる人格否定です。
相手の背景も知らずに、自分の価値観から、
勝手に相手のことを否定してしまう。


例えば
自分の価値観や、考えを知りもせず
育ってきた環境も知りもせず
自分の人格を否定してくる人がいたら、
どうでしょう。
嫌ですよね。多くの場合、傷つきますよね。


同時に、
人格否定をしてくるようなそんな相手にも
相手のこれまでの経験や、環境があった

だから、仮に「人格否定をしてくるCさん」がいても、
そのCさんの人格を否定する必要は無い
のです。

人の人格も、自分の人格も、否定する必要は無い

行動や出来事を、その人自身にくっつけない。







そして三つ目。
③変えられないものを変えようとしない

この言葉って良く聞くけど、実際どういうこと?

こんな感覚や経験は無いでしょうか。
何が「変えられる」で何が「変えられない」なのか?
変えられないと知っても、変えたくなることはないか。
変えられると知っても、変えるのは苦しくないか?


かの有名な言葉があります。
神よ、私たちにお与えください。
変えられないことを、受け入れる冷静さを
変えるべきことを変えていく、勇気を
そしてこの二つを見分ける、知恵を
(ラインホルド・ニーバー)



これを考えるために、
3つの話から、考えていきたいと思います。


1、課題の分離
変えられる、変えられない を考える上で、
アドラー心理学の「課題の分離」があります。

変えられるものは、自分の課題
変えられないものは、他人の課題

他人の課題は、自分にはコントロールできない。
他人の課題をコントロールしようとするから、
苦しくなる。


例えば
ペットに食事をしてもらおうと、
「食事を準備」し、
「ペットの近くに置く」ことはできる。

「食べてって、声がけ」することも、
「食事を口の前に差し出す」こともできる。

しかし、最終的に
「それを食べるかどうかは」は「ペットの課題」で、
どれだけ頑張ってもコントロールすることはできない。



セミナー仲間の体験で言えば、
子供に「進学して欲しい大学」があるケース。

紹介やお勧めは出来ても、
将来を決めるのは子供自身、子供の課題です。
子供の選択によって、子供が将来どうなるか。
それは、子供の課題であって、親の課題ではない。
そこの線引きができないと、
苦しんだり、感情的にもなる。

でも…
変えられないと知っても、
変えたくなることはありませんか?

相手の課題だと知っても、介入したい、
押し付けたくなることはありませんか?
だからこそ、見分けるだけでなく、
受け入れる冷静さが必要。


同時に子供も。
いきたい道を選ぶのは、子供の課題です。
ただそれに学費や生活費や応援など、
協力をするかどうかは、親の課題です。
親に強制されたり、言われた通りに生きる必要は全くないように、
子供の選択に親が協力するかどうかは、子供にはコントロールできない、親の課題です。
課題の分離は、相手に口出しをする人が例に出されることが多いですが、
自分の選択は自分の課題で、周囲がどう思い、何を言われるかも、それは相手の課題です。

冷たい意味ではなく、
自分にコントロールできる、自分が変えられるもの、
「自分の課題」に、全力を尽くすこと。

それは、変えられないことを、受け入れて、
自分の変えられることを、
勇気を持って変えていくこと。




「変えられることを、変える勇気」を、別の話から考えてみます。

2、インサイドアウト
7つの習慣で語られている、
問題は自分の外にあるのではない。
自分の中にある。(変わるのは、解決するのは、自分)
これは、「自分の課題」と認め、「自分が変わる決断」をすることとも言えます。

変われるのは、変えることができるのは、自分自身。
しかし、それを知っても、受け入れたり、
実際に自分から変えることはなかなか大変だったりしますよね。


例えば
どうしても許せない相手がいる。
その人がいるから、
自分はいつも苦痛だし、悩みが尽きない。
その人さえ変わってくれたら… と。

でも、自分に何ができるだろう。
「自分から歩み寄る」ことができる
と、気づいたとしても。
許せない相手に、
自分から歩み寄るなんて、やりたくない…!
感情的に、それは出来ない。想像もしたくない。
…でも、今の現状は解決したい。。

人間ってやはりそう感じることが多いですよね。
(※相手から離れる、距離を置く選択肢も、もちろんあります)


外側に問題を置くのではなく。
「自分が何ができるだろう」 と、責任を自分側
において、
自分の課題の範囲で、自分の出来るベストを尽くす。
口では言えるけど、どれだけ難しいことか。。



人は、今まで通りでいることが一番楽です
変わらないことが一番楽です。
人のせいにして、人に変われと願い、
自分が変わらないことが、
一番楽です。

それでも
変えられること、
自分の行動や、環境や、考え方を、
勇気をもって変えることで。

勇気を持って自分が変わることが
分厚い雲を晴らしたり
傷つくだけの日々を変えたり
長い長いトンネルの出口を見つけることになるのだろうと
私は信頼し尊敬する、生き方をしている人から教わり、
そうしようとトライしています。
何が正しいかなんて、行動する前には分かるわけがないのだから。



そして、最後の話し。
大事な話だと私は思っています。


3、変えられる、変えられない の見分け方は?

「変えられない」ことを受け入れたり、
「変えられる」ことを勇気をもって向き合う前に。
必要なことがあります。

それは 「気づく」 こと。
気づかないと。
「変えられない」ことに必死になったり。
「変えられる」ことに立ち向かえない。


例えば、
「見えないと掃除できない」という話があります。
視力が低い人が、眼鏡もコンタクトレンズもつけていないと、
部屋の隅にホコリがあっても、目に見えない。
そうすると、
気づいていないので、「掃除しよう」と思わない。
というか、思えない。



それは変えられるのか。変えられないのか。
そこに気づけないと、
受け入れることも、勇気を出すこともできない。


では、どうやって気づき、見分ければよいのか。

現時点での個人的な結論は、
「向き合い続けるしかない」


「他人と、過去は変えられない」
と言いますが、
それは、本当でしょうか。


こんな経験は無いでしょうか。
過去に起きた失敗や、辛い出来事。
「あの辛い日々があったから今の自分があるなぁ」とか
「あのことが、同じように悩む人の力になれる」とか

過去の出来事は、変えられません。
でも、
「それをただ、後悔し続けた」 自分Aと
「そこから学んだこと」を見つけて「活用」した自分B

この自分A、自分Bにとって、過去は同じでしょうか。
自分Aにとってはマイナスの過去、
しかし自分Bには、学び活用できる過去になりました。


つまり、過去の出来事は同じでも、変えられる。

なぜか。
自分の世界は自分のフィルターでできているからです。
自分の世界は、変えられるんです。

自分の他人への見方が変われば、自分にとっての相手は変わるんです。
そうです、他人だって、変わるんです。

心理学NLPはじめ、「リフレーミング」という手法があります。
物事の枠組みや、見る方向を変えることで、
同じ出来事でも違った意味を持つことができる

例えば心を病んで、
薬のお世話になっていた最悪な過去も。
最悪な記憶でも、ただ辛い日々でも。
リフレーミングすれば。
それがあったから、同じような人のことを理解することができる。
目に見えない、心のケガの存在も、知ることができる。
同じような誰かの、力になれる。


過去に起きた出来事、事実は変わらなくても
それでも「自分にとっての過去」は変えることができる



だから、向き合い続けるしかないんだと思います。
明確に引かれた線の、意味が変わることもあるから。
時には感情ではなく、明確な事実を見て。
時には事実を覆うほどの、自分の意思や感情も使って。


だから、向き合い続け、学びを続け、知恵をもって、
変えられること、変えられないことを認識する


そして、変えられないことを受け入れる。
そうは言っても、難しいって死ぬほど実感してます。
「人の事は変えられない」と言いながら、
あの人に変わって欲しいって願ってしまったりする
だって、あの態度ひどいじゃん!
自分だけじゃない、皆だってあの人に傷つけられてる!
あの人に変わって欲しい!
…なんて思うこともある。
だからこそ、冷静になって。
受け入れる。


そして、変えられることを 勇気を持って 変えていく


人は変えられない 変わるのは自分だって
言葉だけ聞いて、
誰もが知ってる言葉になっても、
それでも人間関係の悩みが尽きないのは
結局、意識してないから
実戦できてないから
トレーニングし続けてないから、だと思います。。

頭で分かったつもりでも、、
人の言動にムッときてしまったりする
相手がどんな背景で言っているかも知らずに
その人のことを決めつけてしまったりする
たった一つの行動でその人自身を判断してしまったり
その人に変わって欲しいと思ったりもする
相手は変えられない 変わるのは自分だというのに


だからこそ、意識し向き合って、続けていきたいと思う

筋トレの仕方を学んでも、
筋トレしなければ筋肉はつかないのだから。

絵の描き方を学んでも、
練習しなければ描けないのだから。

道を知ることと、歩くことは違うのだから。



ということで
前向き、建設的に、より楽に生きるための3つのこと

①人の世界はそれぞれ違うことを認識する

②行動や出来事と、その人自身をくっつけない

③変えられないものを変えようとしない


以上です。


…もし、もしも。
ここまで読んでくれた人が、
付き合ってくれた人がいたなら。
本当にありがとうございます。

感想じゃなくてもいいです。
もう、「好きな食べ物」とかでもいいです。
一言だけ、コメント頂けたら、

私がとても喜びます。笑。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?