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前向き、建設的に、より楽に生きるための3つのこと

心理学を中心に、
約5年ほど学んでいることの復習回です。

「人間関係」で悩んだ経験ってないでしょうか。
家庭や、友人関係や、職場など
些細なことが気になったり、傷ついたり
ついカッとなってイライラしたり、
時には責めたり、責められたり

それらの多くは、解決できたり、
また程度は違えど、緩めることができる
感情に振り回されず、建設的にもなれる方法があります。

その方法は多数あり、諸説ありですが、
特に大きなものを3つあげていきます。



①人の世界はそれぞれ違うことを認識する

「なんで、あいつはそんなことするの?」
「どうしてあの人、そんな言い方なの」
「何でそんなこともやってくれないの…」

そんな風に感じてしまうことも、ある。
なぜなら、
人はそれぞれ自分の世界を生きているから。
自分も、
自分の世界で物事を見て、聞いて、行動している。


心理学 NLPをはじめ、多数の分野では
「フィルター」と言う言葉で表現されることがあります。

「出来事」から情報を受け取るときに、
「受け取りのフィルター」を通じて受け取り、
「解釈のフィルター」で自分の解釈や判断をし、
「出力のフィルター」を通って行動やアウトプットされる

「受け取る時」に情報の大部分は削除や歪曲され、
「解釈する時」に変形や取捨選択され、
「出力する時」にまた独自の内容となる。

だから、同じ出来事を見ても、
同じ言葉を聞いても、同じ空間にいても。
事実は一つでも、人それぞれのフィルターが違うので、
人はそれぞれ反応や行動が違うのは、当たり前。

「あぁ、この人はそう受け取るんだな」であり、
「なんでそんなこと言うの!?」と嘆く必要は無い
余計に感情を動かしたり、傷ついたり、
疲れたりする必要は、無いんだと。



例えば、
知人の実話なのですが。ある子供が熱を出した。
母親が、「子供が熱を出し、大した事はなく元気だが学校休ませる」
という連絡を、仕事中の、子供の父親にしたケース。

父親は、
受け取りのフィルターで「熱を出した」を受け取る。

解釈のフィルターで、独自に解釈する。
(わざわざ熱を出したと言う位だから、きっと37.5℃以上なのだろう)
(コロナのリスクがあるのだろうか、PCR検査の可能性があるのだろうか)
(濃厚接触者となれば、自分の今のプロジェクトに影響が出るし先に手を打つ必要もある)

そして出力する。
「子供の熱は何度だった?そこが心配だな」


母親は、受け取りのフィルターで「そこが心配だな」を受け取る。

解釈が始まる。
(子供の体調を気にしてくれてるのね)
(大したことないってさっき言ったのに、私の話聞いてたのかしら)

出力する。
「大丈夫よ、大した事は無いって言ったじゃない。学校は休ませなきゃいけないから、私も職場に休む連絡を入れなきゃ」


父親
「そんなに高くないって、熱は何度なの?」

母親
「だから大したことないって言ってるじゃない!元気は元気なのよ」

父親
「だから!熱が何度だったって聞いてるんだよ!」

母親
「なんで怒ってるの!?あなた代わりに休んで子供の看病してくれるの?熱が何度だってあなたは仕事も休みもしないし帰っても来ないじゃない!」


お互いの受け取り方や解釈が違うことに気づかず、
言葉足らずなすれ違いは続いていく。。

自分と相手が違うことを認識していたら、どうだろうか。
父:「熱は何度なんだ?」
母:「37.3℃よ、どうして?」
父:「そうか、PCR検査を受ける必要があるのかなと思って」
母:「そうね、職場への影響もあるから気になるよね。今は37.3℃だけど、これからどうなるかわからないからまた連絡するわ」
父:「ありがとう、助かるよ」

もしくは、こうだったかも知れない。
母:「大丈夫よ、大した事は無いって言ったじゃない。学校は休ませなきゃいけないから、私も職場に休む連絡を入れなきゃ」
父:(今はやることも多くてきっと焦ってるな。。)
父:「そうか、大変だけど本当に助かるよ。仕事休んでくれて、いつもありがとう。まずは職場に連絡しなきゃね。落ち着いたらでいいんだけど、熱が何度だったかLINEでも入れてくれないか?」
母:「わかった、また連絡するね」



また例えば、こちらは実話ではないが、
歩道に20歳前後の男性が仰向けに寝転び、
目を閉じて、右手には缶ビールを握っている。
というシーンを見た時。

「受け取る」時に、大部分の情報は削除され
①人が仰向けに寝転び目を閉じている とか
②20歳前後の男性が右手に缶ビールを握って寝転んでいる
のように、情報はかなり削除される。

その上で「解釈」される。
①人が仰向けに寝転び目を閉じている
→「人が倒れてる!大変だ!」
→「あ、人が寝てるなぁ」
解釈はそれぞれ。


②20歳前後の男性が右手に缶ビールを握って寝転んでいる
→「若い男が酔っ払いが寝ているなぁ」
→「わ!飲み過ぎて意識を失ってる?救急車!」
解釈はそれぞれ。


当然、出力される行動も会話もズレる。
「倒れてる!救急車呼ばなきゃ!」
「は?酔っ払いが寝てるだけでしょ」
「何言ってるの!あなた酷い人だね!」
「いや、何言ってんの、勝手に一人で焦って」


出来事や事実よりも、
自分の世界で物を見て、
自分の解釈や判断は、他人も一緒だと決めつけ、
同じで無い場合、相手に憤りを感じたり

人の世界はそれぞれ違うこと
を認識すれば、
原因は相手にあるのではなく、
「フィルターの違い」
にあるだけで、誰かを責める必要も、
傷つく必要もないと気づく



7つの習慣ではこれをパラダイムと言い、
人は皆それぞれのメガネや色眼鏡をかけて世界を見ているとも表現される。

心理学でも、
人はそれぞれ見ている地図が違うとも表現される

飲食店が書いてある観光マップを見ているAさん
道路情報のみ記載の地図を見ているBさん

Aさん「ほら、そこにレストラン書いてあるじゃん!」
Bさん「え、どれ?どこのこと言ってんの?」
Aさん「お前おかしくない?大きく書いてあるよ!」

Bさんの地図にはレストランは書いていない。
けれどもAさんもBさんも、イライラしてくる。

こんなことが、日常のコミュニケーションで起きている。
会社でも起きている。家庭内でも起きている。
問題はAさんでも、Bさんでもない。
見ている地図が違うことであり、
地図が違うことに気づいていないことが問題だ。


しかし頭で理解したところで、
実際にできるかどうかまた別
で。
日々意識とトレーニングが必要で、今現在もがいております。。

違いを認識するため、
もしくは認識した後はどうするのか?

それについては
「前向き、建設的に、より楽に生きるための3つのこと」
 2つ目と、3つ目があるのだが、
長くなってしまったので。


二つ目と三つ目の
②「行動や出来事と、その人自身をくっつけない」
③「変えられないことを変えようとしない」

こちらは次回にしようと思います。

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