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8月11日の新聞1面のコラムたち

 読売新聞『編集手帳』が甲子園の応援席で掲げられたタオルに記された言葉に注目していました。「勝ち登れ」。「勝ち上がれ」ではありません。「勝ち登る」という言葉はありませんが、特別な思いの込められた造語なのです。今年の夏に急逝した愛工大名電3年生野球部員、瀬戸勝登さんの名前にちなんでいるそうです。こういう事情を知らなければ「勝ち登れなんていう言葉はない。勝手に言葉を作るんじゃない」などという批判をしてしまうかもしれません。「知っている」ということは、とても大切なことなのだと再認識した次第です。これまでにも知らないために不用意な言葉を発して各方面に不快な思いをさせてきたのだろうと思います。姿勢は謙虚でありたいものです。

 京都新聞『凡語』は同じ野球でもアメリカ大リーグの話。いま、誰一人不快にさせないのは大谷翔平の話くらいではないかしら。それでも「僕はメジャーリーグのこと興味ないので」という人もいるし、「大谷って何がそんなに凄いの?」というおっさんもいるのですが。2桁勝利2桁本塁打はベーブ・ルース以来104年ぶりの快挙です。私はたまたま、お昼ご飯を食べているお店でその偉業の達成される瞬間を見ました。歴史の証人です。大谷翔平の何がすごいかといえば、さっき何かの記事で読みましたが、「手を抜くところは抜くところ」らしい。いやいや二刀流ですよ?めっちゃ全部頑張ってますよ?と思うんですが、記事によると、大谷は記者会見で無理に英語で話さないと。英語をマスターしてしっかり自分の言葉で伝えなければいけない!という欲張りなところがなく、割り切るところは割り切っているところが、彼の凄いところでもある、というようなことが書いていて確かにそうかもしれないな、と思いました。大谷が手を抜いてるんだからオレたちも抜いていいでしょう。案外その方が結果を出せるかもしれない。ああ、また大谷に生きる勇気をもらってしまった。

 『編集手帳』と『凡語』以外は朝日新聞『天声人語』も産経新聞『産経抄』も毎日新聞『余録』も日経新聞『春秋』も全て「訃報」についてでした。訃報はこれまであまり接してこなかった分野について、亡くなった方の評伝などを通じて知ることができます。『天声人語』と『産経抄』は精神科医で神戸大名誉教授の中井久夫さんの訃報について書いていました。中井さんは、1995年の阪神・淡路大震災で、被災者の精神的な痛みに寄り添い、2004年に発足した兵庫県こころのケアセンターの初代所長に就任しました。「日本の政治家には魅力がない。近代化を支えてきたのは無名の人々の勤勉と工夫である」「日本は島国で、石油や食糧などの輸入は平和が前提。いたずらに強がらず外交力の発揮を」と医学に限らず、政治や社会を自在に論じ、心温まる随想を数多く残したと『天声人語』。『産経抄』では20年近く前の講演での言葉が紹介されていました。「戦争で開戦当初の興奮が続くのは一カ月、せいぜい二カ月です。そのあと、こんなはずではなかったという感じとともに、延々と泥沼の戦争が続く」ロシアによるウクライナ侵攻の実態を言い当てていると『産経抄』は書いています。

 『余録』と『春秋』は、デザイナーの三宅一生さんの訃報についてでした。1960年に東京で開かれた世界デザイン会議は27カ国のデザイナーや建築家が参加し、戦後の日本にデザインの概念を浸透させたといわれていますが、そこに「なぜ衣服が含まれないのか」と質問状を送ったのが、当時多摩美術大図案科の学生だった三宅一生さんだったそうです。(『余録』より)同じく『余録』には、「核兵器なき世界」を提唱したオバマ米大統領のプラハ演説の後、米紙への寄稿で被爆体験を明らかにしたことにも触れています。『春秋』には、日経新聞のインタビューで語っていた「我々デザイナーには物事をポジティブに考える、という特殊な才能があります。アーティストが時に死を表現するのに対し、デザイナーはどんな時も『生かす』ことから発想する人間です」という言葉に触れ、広島の爆心地で地獄の猛火を生き抜いた三宅さんにとって「生かす」ことと「生きる」ことは、他のデザイナーとは比較にならないほど重い意味を持っていたに違いないと書いていました。

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