【書評】デュマ・フィス『椿姫』ヒューマニズムの恋愛小説

0.はじめに

今回紹介する作品は、アレクサンドル・デュマ・フィスが書いた『椿姫』です。父は『モンテ・クリスト伯』で有名なアレクサンドル・デュマ。
自身の恋愛体験を元に書かれた本作はヒットし、作者の名声を高めることになりました。
19世紀にフランスで書かれた作品ですが、今読んでも充分おもしろいです。私が大学時代に読んで最も影響を受けたうちの1冊。


1.あらすじ

ある日フランスで有名な高級娼婦が亡くなった。彼女の名はマルグリット・ゴーティエ。訃報を聞いた作者(わたし)はマルグリットの遺品の競売に駆けつける。彼女は生前、金持ちの貴族たちをパトロンとし、奔放な生活を送っていたため、借金を抱えていたのだ。
作者は競売で『マノン・レスコー』という小説を手に入れた。
その後、作者の元に一人の青年が現れる。彼の名はアルマン・デュヴァル。作者が『マノン・レスコー』を競り落としたと聞き、駆けつけてきたという。何でも、その本はかつてアルマンがマルグリットに送った本らしい。二人はどうやら、恋人同士であったようだ。作者はアルマンに本を譲った。そしてアルマンはかつて経験したマルグリットとの恋物語を語り始めた・・・。


2.感想

まず、フランス文学らしく心理描写が詳細に描かれています。恋慕、軽蔑、嫉妬、後悔。様々な感情の変化が段階的に表現されています。小説の強みを生かしており、映画や戯曲では再現できない濃密な描写と言えます。

作品の構造は、アルマンから話を聞いた作者が物語を書いている、というもの。作品の大半はアルマンの回想で占められています。いわゆる額縁小説のようなものですが、『嵐が丘』と違い、恋愛の当事者による語りが入っているのであちらより圧倒的に読みやすいです。

アルマンはマルグリットにアタックするのですが、なかなか相手にしてもらえません。彼女は肺病を患っており、後先長くない人生のため、享楽的な生活を送っていました。アルマンの財産ではそうした生活を支えることができません。
しかし、次第にマルグリットはアルマンの気持ちに応えるようになります。それでも享楽的な生活はまだやめられないので、伯爵たちとの関係は続きます。
ここでのアルマンとマルグリットの考え方の違いが興味深い。

アルマンは、自分以外の男と関係を持つのはやめてほしい、と言います。身体を売ることは、心も売ることだと思っているからです。
他方、マルグリットは売っているのはあくまで身体であって、心は売っていない。心はあなたのもの、というスタンスです。恋愛と性関係を分けて考えるあたりがおもしろい。現代人にはなじまないかもしれませんけど。

二人の破局は突如訪れます。マルグリットの元にアルマンの父が現れ、「息子と関係を切れ」と迫ります。実は、アルマンの妹が結婚することになったが、アルマンが享楽的な生活をしていると聞き、結婚が破談になるかもしれない、と言うのです。
結局、マルグリットはアルマンの元を去ることになりました。
しかし、それを知らないアルマンは激昂し、マルグリットに復讐しようとします。彼女はアルマンの仕打ちに耐えます。ここのアルマンの心理描写が上手い。自分を捨てたのが許せない、という怒りとこんなことをしていいのだろうか、という迷いが克明に描かれている。まさに「恋は盲目」状態ですね。

最後はマルグリットが残した手記の中身が明かされ、アルマンは真実を知ることになります。しかし時すでに遅しで、マルグリットはすでに亡くなった後だった、という流れです。
ここの手記も臨場感があって素晴らしい。これまで言いたくても言えなかった彼女の気持ちが赤裸々に語られ、読者の胸を打ちます。アルマンを失った後、元の享楽的な生活に戻ってしまい、支えを失って病状が悪化していったことが明らかにされます。この辺りは読んでいて結構辛くなるところですね。


3.作者の温かな目差し

ベタな悲恋メロドラマと言われればそれまでかもしれません。しかし、本作が凡百の悲恋小説と何が違うのかといえば、それは作者の、社会的弱者に対する温かな目差し、そして当時の社会で出版するための但書きの付与という作者の苦闘が見えることでしょう。

作者のデュマ・フィスは父の私生児として生まれました。当時、私生児は差別の対象だったようです。
一方、マルグリットのモデルであり作者の恋人でもあった「マリー・デュレプシー」は高級娼婦でした。これは二面性を持つ職業です。
一つは「高嶺の花」という側面、もう一つは「水商売」ゆえの軽蔑と社会的地位の低さ。差別や偏見を向けられてきた作者にとって、マリーの姿は自分と重なる面があり、そこに作者は惹かれたのかもしれません。
彼女の社会的地位は低かったかもしれませんが、まるで貴婦人のような高貴さを備えていたといいます。
そうした姿を見て、社会的弱者を迫害・軽蔑するのではなく、もっと彼らが生きやすい社会にすべきだ、というような作者の目差しを感じます。

また、当時の社会でこのような小説を出すと、「娼婦を美化するのか」という非難が寄せられるリスクがありました。
作者はそうした時代背景も鑑みて、マルグリットの話はあくまで例外的な話、と断りを入れたりしています。検閲などの圧力に抵抗しつつ、自分の主張を本にする姿勢が素晴らしいですね。


4.タイトルについて

この作品のタイトルも示唆的です。
「白椿」の花言葉は「完全なる美しさ」であり、まさにヒロインにふさわしいものと言えます。
そして「姫」という敬称。つまり、社会的には底辺とされている娼婦に対し、「姫」という最上級の呼称をつけています。ここに、作者の弱者に対する敬意や思いやりを感じます。身分や職業で人を差別すべきではない。底辺と言われる人の中にも、立派な人はいるのだ、と作者は言いたかったのかもしれません。


5.おわりに

フランス文学の名作『椿姫』の紹介でした。自己責任論が蔓延る現在、こうした弱者への温かな目差しを惜しまない作者の姿勢には学ぶべきものが多いと思います。
興味のある方は読んでみてください。

ご精読ありがとうございました。


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