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【連載】第3次本州紀行~苫小牧→八戸→仙台→苫小牧~ 第9話「静謐」仙台港→苫小牧西港(船上) ※ホテル禁止

(8)船内にて「静謐」

船が動き出した。さあ、15時間の船旅だ。
デッキへ乗り出し、港を眺める。100万ドルの夜景、とは言わないが、100万都市の夜景なので、そこそこ見応えはある。仙台の街はまだ眠らない。
私もまだ眠らない。旅の記録を書かなかればならないからだ。キッズたちが寝静まった静謐の時間を狙って、集中して一気に筆を走らせる。
疲れたらデッキで夜風に当たり、天空と沿岸都市の風景を眺める。もう夜だが、工業都市ゆえか、沿岸の街には光が灯り、眠る気配は見せない。
機械は疲れを知らない。人が欲する限り、無限に動き続け、眠ることはない。だが、私は人間だ。起きていられる時間には限度がある。1日列車に乗り通してきた疲れが蓄積し、私は闇の世界に誘われる。
そろそろ眠ろう。目が覚めれば、そこには大海原の波が、きらきらと光っているだろう。

闇の世界から戻り、6:00起床。展望デッキへ向かう。
涼風と穏やかな波が旅愁を誘う。空も青く、太陽は輝く。絶好の航海日和と言って良いだろう。
朝食バイキングでごはん、納豆、ひじき、めかぶを食べて栄養を補給する。朝から晩まで移動する乗り鉄の私はコンビニ飯で済ませることも多く、こうした料理を摂取できるのはありがたい。

食事を終えると、昨日港で再会した人が最後のあいさつに来てくれた。
今後の予定について話し合ったり、私が持ってきた時刻表を使って様々な交通ルートについて情報提供をしたりした。
最後に、
「また会える日を楽しみにしています。」
と互いに言い、それぞれの旅路へと向かっていった。

ちなみにその方は女性なのだが、どうやら以前私が書いた、
「【女】には恵まれなかったが、【女性】には恵まれた」
という認識は正しかったらしい。
「クリぼっち」に関する記事でも書いたが、恋人や配偶者がいないことで自虐的になる必要はない。むしろそのメリットを充分に活用すべきなのだ。
そう。私の隣には誰もいない。「余白」がある。それは何を意味するか。
出会った女性と、忖度なしの交流ができる、ということだ。
考えてもみたまえ。もし私が旅先で素敵な女性に出会い、少しお話しようかと思ったとき、傍らに【女】がいたらどうだろうか。
私もあまり親しげに話しかけることは難しくなるだろうし、先方も連れ合いの気持ちに「忖度」して遠慮した対応をするかもしれない。
こうした「忖度」が私は嫌なのである。お互い余計な気遣いなどせず、単純にその時間を楽しみたいのだ。小学生時代の少年と少女の関係のように。

【女】がいる人には生粋の【女性】には出会えない。なぜなら「忖度」が生じるからだ。
傍らに恋人無き私の大空位時代。この余白が、旅先での色とりどりの素敵な出会いをもたらしてきた。「余白」は豊かさの証でもあるのだ。そしてこの「余白」に、私の精神の拠りどころとして、あの「英雄」を代王として置いてきた。この代王がいなければ、私の旅に豊かさがもたらされることも、なかっただろう。

話が逸れすぎてしまった。進路を元に戻そう。このままでは目的地に着けない。目指すは北海道、苫小牧西港。進路よし、おもかじいっぱ~い!(なお操舵は任せるもよう)

北海道が見えてきた。上陸も近い。
新幹線や飛行機で通り過ぎるのはもったいない風景だ。
思わずJR北海道の社歌を歌いたくなる。
「北~の大地は~♪果てなくなつか~しい~♪」

長かった旅が終わりに近づいてきた。
だが、まだ終わりではない。
最後まで、新しい発見がある。
さあ、もうすぐ到着だ。
(続く)

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