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【中編】片側だけで感じる彼・彼女 No.7/11

リビングの壁を見つめながら、ぶつぶつと心の内を呟いている神無かんなの声に聞き耳を立てる。
「当日は何かケーキでも買ってきて、自宅で食べようかな。夕食もデパ地下で食べたい総菜を買って、シャンパンも買おうかな。でもあんまりお酒が強くないし。。翌日は休みにしよう。当日夜遅くなってもいいように。」
彼女の手を握れるほど、側にいる俺にはすべて聞こえている。
本人は気づいていないのだろうか?

もう、あの日から半月以上たっているのに、彼女は片目を閉じて俺を見ようとはしなかった。そして、数日前からどこか浮かない顔をしている。
何か心配事があるなら話してほしいのに、俺が何度合図を送っても、彼女は応えてくれなかった。仕方がないので、俺は側にいる、俺は君の味方だと伝えるかのように、手を繋ぐ。指と指を絡めて、その存在を確かめる。
彼女が手を振りほどくことはないことだけが救いだった。

多分先ほど口にしていたのは、彼女の誕生日のことだろう。
彼女に出会った日に、俺たちはお互いの誕生日を口にしていた。もちろん、日にちは覚えている。俺たちの呼び名は生まれ月にちなんでいるのだから。
今は10月。間もなく彼女の誕生日だ。
そして、その日に俺はあることを決行することに決めた。

彼女に嫌われるかもしれないが、このまま俺を見てくれないのなら、強硬手段を取ってやる。俺も彼女の誕生日の翌日に休みを取れるように工面した。
だが、そのため、誕生日当日に早く帰ることはできなかった。
俺が自宅に着いたのは、あと2時間もすれば、彼女の誕生日が終わってしまう時刻だった。

リビングで片目を閉じて、彼女の姿を確認してみたところ、テーブルに向かって、何かを食べているようなしぐさをしていた。彼女自身が話していた通り、何かを買ってきて今食べている最中なんだろう。美味しそうな顔をする彼女を見ていると、自分も夕飯を食べたくなったが、まだ時間がかかりそうなので、先にシャワーを浴びることにした。

「はぁ。美味しかったなぁ。」
目の前で彼女がそう言って微笑む。顔は大分赤くなっている。たぶん酒のせいだろう。向かい合って食事をしたのは初めてだが、彼女は本当に美味しそうに食事を口にしていた。見ていると自分の頬も緩む。一緒に同じものを食べられたら、いいのに。何度願ったか分からない思いに、俺は大きく息を吐いた。

今日こそは、彼女には俺のことを見てもらって、彼女と話をしなければならない。俺は食べ終わった食器をテーブルの端に追いやると、彼女の隣に移動した。そして、彼女の手首を掴んだ。彼女はチラリと自分の手首に目をやったが、片目を閉じることはない。
俺は彼女の手の指に自分の指を絡めて、強く力を込めた。彼女は手を見つめたまま、躊躇ためらったように目を泳がせている。

彼女の手を放して、彼女の首筋に触れた。滑らかな肌の感覚。
そのまま手を上に滑らせて、彼女の頬を掌で包み込んだ。
如月きさらぎ?」
彼女が俺の名を呼んだ。彼女と視線が合わなくなってからは、彼女の手以外に俺は触れたことがない。今までになかったことなので、声にも戸惑いが含まれている。
「俺を見てほしいんだ。」
彼女に聞こえないと分かっていて、俺は今の思いを口にする。

頬に触れていた手をそのまま斜め上に滑らせて、彼女の耳に指先を伸ばす。
そういえば、彼女に初めて会った時に、耳を見るために髪をかき上げたっけ。耳の縁を優しくなぞったら、彼女が声を上げた。
今までに聞いたことのない声に、俺は思わず手を止めた。
早く、俺を見てくれないだろうか。このままだと止まれなくなりそうなのに。

「怒っているの?如月。」
彼女の潤んだ瞳を間近で見てしまい、視線は合っていないものの、何かしら背筋を駆け抜けるものがあった。
怒ってなどいない。ただ、俺のことを見てほしいだけ。早く片目を閉じて、俺の姿をその瞳に映してほしい。
俺は体の中から湧き上がってくるものを逃すように、大きく息を吐いた。

耳に触れていた手を、彼女の寝間着の上着の裾に差し入れる。腰を触った後、手を脇腹に沿って撫で上げた。彼女の身体が大きく震える。
「お願いだから、俺を見てくれ。」
俺は彼女の顔に自分の顔を近づける。彼女と唇を合わせてみたが、もちろん感覚は全くなかった。想定通りだ。彼女の視線の合わない瞳をじっと見つめる。
俺の指先が彼女の胸に届く前に、彼女の手によって動きを止められた。

俺は彼女から顔を離す。彼女の片目が瞬き、俺と視線が合った。
「やっと、見てくれた。」
俺が彼女に向かって話しかけたのに気づくと、彼女は自分の指で片耳を塞いだ。
「ごめん、こうでもしないと神無が俺を見てくれないと思った。」
「私の方こそ、合図に応えなくて、ごめんなさい。」
「正直見てくれてほっとした。なかなか見てくれなかったから、焦った。」

神無は、俺の言葉を聞きながら、軽く首を傾げた。彼女と体は触れ合っているのに、その感覚はまるでないが、寝間着姿で顔を赤くさせた彼女がすぐそこにいるという状況に、遅まきながら、心が掴まれるのを感じた。視覚情報は、思った以上に心を揺さぶるのだと感じる。

「首筋に触れた時に、片目を閉じて抗議してくるものと思ったのに、何で抵抗しなかったの?」
「・・如月に触れられるのが、嫌じゃなかったから。」
神無は自分が言っていることが分かっているのだろうか?好きな人にそんなことを言われたら、こちらの気持ちが舞い上がってしまうじゃないか。
俺は彼女から視線を逸らした。

「この間のこと、説明したいんだけど。」
「・・好きな人なんでしょう?連れてきた人。」
「はぁ、やっぱり誤解してる。彼女はただの同僚。でも、俺が紹介した人と付き合ってる。」
俺は彼女に同僚のことを丁寧に説明した。あの時は喧嘩していたが、今は仲直りして、逆に俺が元気がないことを心配されている旨を話すと、彼女も心配そうに俺のことを見つめてきた。

「なんで、元気がないの?」
「一か月俺のことを見なかった君がそれを聞く?」
「私のせい?」
「当たり前だろう?もうこのまま終わるのかと気が気じゃなかったんだから。」
でも、今はもうこうやって彼女と会って話ができているのだから、全く問題はない。直ぐに気分も上向くだろう。

「私、如月に好きな人ができて、目の前で告白したと思ったら、どんな顔して会っていいか分からなかった。この関係を終わらせようと、はっきり言われるのも怖くて。」
好きな人ができた。というのは、間違ってはいない。それに彼女と話をしない一か月で、俺は彼女に対する気持ちをより強くさせられた。
少しでも、彼女との関係を強くすることができるなら、自分の思いを伝えることだって、容易いはずだ。

「好きな人ならいるよ。目の前に。」
彼女が顔を上げて、俺のことを見上げる。俺はその顔を見下ろした。
「俺が好きなのは、神無だ。」
彼女は俺を見つめたまま動きを止めた。俺を見ている眼のふちから涙が盛り上がる。
「なぜ、泣くんだ?」
「嬉しくて。」
彼女は、泣きながらも、顔を緩めた。

「私も如月のことが大好き。」
そう言って、彼女は俺の頬に手を伸ばす。
「キスは・・できないよね?」
「・・さっき、試したけど、できなかった。」
そう返したら、彼女の顔が真っ赤になった。
「さっきって。」
「神無が片目を閉じる直前。」

俺の言葉に、彼女は少し考えた後、納得したような顔になって言った。
「一瞬、如月の顔が近すぎてよく分からなかった、あれかぁ。」
「そう。」
彼女は、指先で、俺の唇を撫でた。
俺もお返しとばかりに、彼女の頬に掌を当て、親指で彼女の唇を撫でる。
こんなに近くにいるのに、片手でしか触れられない。

「誕生日おめでとう。神無。」
「あまりに多くのことがあって、今の今まで忘れてた。」
「明日は一日一緒にいよう。休み取ってるし。」
「なぜ、私が休みなのを知ってるの?」
「心の声、駄々洩れだったけど。」
「本当に?・・恥ずかしいなぁ。」

彼女の唇に自分の親指を当てたまま、顔を近づけると、彼女も俺の唇に触れたまま、顔を上向かせた。
お互いの指越しに、俺たちは初めて感触のあるキスを交わした。

No.8に続く

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