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泉大津市 ロシア兵墓地へ ーこの海の向こうがロシアではないということー

先日のnoteに書いた通り、私の曾祖母・てるゑは泉大津市・春日墓地にあるロシア兵墓地に定期的に通い、清掃などを行っていたようだ。そして、日本中探しても、ロシア兵墓地が埋葬当時の姿をとどめている場所は、泉大津しかないとのこと。

私も、曾祖母が通ったロシア兵墓地を訪ねることにした。

ロシア兵墓地の場所

厄除け桃で知られる大津神社の北側、春日墓地の一角にロシア兵墓地はある。私は大津神社には何度も参拝しているのに、ロシア兵墓地のことは知らなかった。

泉大津駅近くにある地図
大津神社

ロシア兵墓地のすぐ近くには泉大津郵便局がある。また海にも近い。

ロシア兵墓地はとても静か

春日墓地の一角、白い玉砂利が敷き詰められたエリアに、89の墓石が並んでいる。
故人の写真をタイルのようなものに焼き付け、墓石とともに飾られているお墓も。ロシアで暮らすご遺族が持ってきたものだろうか?

玉砂利はふわっとやわらかくゴミも落ちていない
後ろに見えるのは南海・泉大津駅近くのビル
ふるさと文化遺産に登録されていることの説明
祖母から「慰霊塔があった」と聞いていた

春日墓地内には太平洋戦争で戦死した日本の兵隊さんを慰霊する忠霊塔もある。

忠霊塔 紅白の梅の花が咲き始めていた

ロシアから旅順での戦いを経て日本へ

浜寺俘虜収容所に収容されたロシア人俘虜の多くは、旅順の戦いで投降した人だったそうだ。初期に日本に来た人は、大阪天下茶屋の収容所にいったん収容されたものの、2か月程度で浜寺俘虜収容所に移送されたとか。

ロシアから旅順を経て海を渡り、言葉もよくわからない国に連れて来られて、いつ帰れるのか分からない。目の前の海を越えても、そのままロシアに帰れるわけじゃない。

たとえ収容所で人道的な扱いを受けたとしても、自分の思いなど関係なく日本に連れて来られるとか、そもそも戦地で闘わなければいけないとか、その時点でかなり理不尽なことだ。捕虜を虐待しなかった収容所や地元の人々は立派ではあるかもしれないが、そもそも戦争をしなければ、収容所なんてなくて済む。
曾祖母が「ロシアに帰れずに病気で亡くなって、本当に気に毒に」と言った気持ちが、理解できる。

今日、実際に足を運んでみて「フェリーが出る海のすぐ近くだ」と分かった。ここから九州の新門司まで一晩だ。

でも、当時のロシアの兵隊さんたちは、
「たとえこの海を越えて逃げ出すことができても、海の向こうはロシアではないのだ」
と思いながら過ごさなければいけなかったかもしれない。その絶望感は、深かっただろうと思う。兵隊さんたちが魂だけになったときに、きっとロシアへ帰ることができただろうと、信じたいし祈りたい。

今後やりたいこと

この数日間、日露戦争のことやハーグ陸戦条約のこと、捕虜や収容所のことなどを自分なりに調べて、私は何を知りたいのかが明らかになってきた。
仕事もあるので一気にはできないが、少しずつでも勉強していきたい。勉強して何をするという計画はまだないけれど、今はまずいろいろなことを知りたい。

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