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短編小説を書いてみる「不思議な夢・命を絶とうと決めた日に」

協力:畠山隼一

なんて爽やかな朝なんだろう。心とは対照的に。今日が「最後」の日だと言うのに、完全には閉め切られていないカーテンからは、僅かに皮肉にも希望的な朝陽が差し込み、ベッドの上の僕の顔や足、素肌に溶け込むような色の鋭い線を描いている。

もう後には引けない。何故なら昨日、配信サイトで「新学期が始まる明日の朝、いつも乗る電車に飛び込んで自殺する所を配信します」という宣言をしてしまったから。夏休みが始まる前位から僕はサイトにijimerareo(いじめられ男)という自虐的そして芸のない名前で、自分に対するいじめの愚痴や怒りをこぼしており、コメント欄には無慈悲にも罵詈雑言の書き込みが次々と押し寄せ、それに対する怒りで湧いた勢いのあまり、そして明日から学校が始まるという憂鬱に耐えきれなくなりそんな事を言ったのだ。自分を心配するコメントが少しでも有れば気持ちは動いたのかもしれないが、「明日のニュース楽しみ」「いじめられる方が悪いんだ」「さっさと死ねよ」「死ぬ死ぬ詐欺するんじゃねーぞ」といった真っ黒い闇を帯びたコメントという刃を前に、僕は簡単に負けてしまった。

配信を終えた昨日の夜から、心臓の動悸が常にはっきり聴こえ、何かを食べたわけではないのに謎の満腹感が有り、そして定期的に吐き気にも襲われる。眠気も全く無くスマホも読書も何もする気が起きず、子供の頃から親以上に眺めてきた記憶の有るベッドの上の真っ白な天井をひたすら眺めるという、文字通り「空白」の時間を過ごしていたら朝が来たというわけ。

人形のようにベッドに横たわっていた重い体を起こし、洗面所で顔を洗う。充血した赤く細い眼に、ニキビだらけの肌、魂が抜けたような覇気のない表情。鏡の前に佇み、水が僅かに滴るまだ幼さが残る少年の顔は、原産地:コンプレックスと言わんばかりの素材のみで形成された、数時間後にはこの世から消えるのに相応しすぎるものだ。

これから赤黒い血が走り、染まるであろう制服に着替えたら、それなりに整理整頓された部屋に別れを告げる。僕は昨日用意していたメモ用紙を食卓の上に置く。そのメモの上には、「朝食はいらない。もう出かけてる」という横線を無視して書かれた粗めの文字が不愛想に横たわる。いつも通り親の顔を見て出掛けるのはなんか嫌な感じがしたし、心の準備を駅でしたい故に、さっさと出掛けたい気持ちが強かった。玄関にまで向かう途中、靴下を通じて伝わる床の感触を地味に楽しんだ。そうだ、この感触も、自分の部屋も、洗面所も、リビングも、もう皆最後だ。でも未練なんかない。ドアが重く閉まる音は、不思議にも耳の内側でもずっと響いた気がする。

まだ完全に目を覚ましてはいない街は人もまばらで、ジョギングや犬の散歩をする数人とすれ違っただけだ。駅の途中に横切るコンビニや商店の前には、配送トラックがハザードを点灯させながら停まっており、どこかの場所からはトラックかバスがバックしている時に鳴る音が数秒間だけ聴こえた。駅前のロータリーに停まっているタクシーはいつもより少なく、乗客は今の時間帯殆ど居ないタクシーの後ろのドアはとりあえず、という感じに開かれ、運転席には眠そうな運転手がスポーツ新聞を読んだり、スマホのゲームに夢中になっている。開いたばっかりの売店に寄ろうと一瞬思ったが、飲み物以外特に買いたいものはなく、その飲み物さえホームの自販機で買えるのでそのまま改札を通り、ホームへ出る。

いつも乗る電車の時刻まで、まだ30分程有る。数分前に電車が発車したからか、ホームには自分含めて3,4人位しか人は居ない。自動販売機で清涼飲料水を買い、いつも電車に乗る場所近くのベンチにとりあえず座る。今までの通学時の駅は大体混んでて、このベンチに座れる事は殆ど無かったから、少しだけ心地良くて、眠気に襲われても仕方ない気がした。そしてスマホを取り出し、「自殺配信~もう数十分で電車に飛び込み死にます~」というタイトルで生配信を始めた。顔は写さず、胸元の制服が画面を大きく占める。

特にコメントを読んで返事する予定は無いが、とりあえず「おはようございます」とつぶやく。早朝であるにもかかわらず、「自殺ってマジ?」「かまってちゃんもいい加減にしろ」「誰か助けてあげて!」「ブサイクはとっとと死ね」「場所どこ?」「何が有った?」等と少しずつコメントが増えていく。みんな、最後の時に限って興味を持つんだな。

そうだよ、かっこつけて言えば皆さんお待ちかね、これからショータイムが始まります。このスマホの主は配信を視聴しているあなたに、そしてたまたま今日駅に居合わせた不運なみなさんに、滅多に見ることのない非日常をお見せします。場合によっては、この体は弾き飛ばされるか、もしくは電車に飲み込まれ、この体内を巡る血や肉、内蔵が飛び散ります。何が凄いかって、これは映画やドラマじゃないんです。紛れもないリアル。これを目撃したあなた方の記憶に、僕は一生棲みついてやります。SNSのトレンド上位だって狙えるかもしれません。いじめっ子のお前ら、絶対に泣いたフリなんてするなよ。「嫌いな奴が死んで清々した」って葬儀でも家族の前でも友達の前でも良い子ぶらずに言って、その醜い人間性を晒せ。ちょっと言い過ぎか。でも、怒りと悲しみが奇妙に入り混じって、僕の心からバランスを失わせているのはなんとなく伺える。

僕が電車に飛び込んだら、みんなどんな反応するんだろう。警笛を鳴らしながらホームに入ってきた電車の運転士さんは驚くのかな。それとも人身事故なんか頻発しているから、意外な位慣れた感じで乗客に「只今人身事故が発生しました」と落ち着いたアナウンスをした後冷静に通報するのだろうか。不運な乗客達は学校や会社に遅れて、もはや意志や感情の残らない僕の残骸に憎悪をぶつけ、愚痴をSNSに書き込むのだろうか。「死ぬなら一人で首吊るなりして死ねよ」、なんてさ。通学時いつも同じ場所から電車に乗る見慣れた人達はどうだろう。ちょっと人の良さそうな、だけど疲れた感じの40代位のサラリーマンのおじさんは衝撃を受けるのだろうか。お洒落でクールな感じの女子大生らしきお姉さんは、僕みたいなタイプの人間には普段絶対興味や関心を持たなさそうだけど、やっぱり飛び込んだら驚いたり怖がったりと、いつもは絶対見せない見えない表情や感情を作り出すのだろうか。そして泣いてくれるのか。あのパートに向かう感じのおばさんも・・・・。

瞼が重くなり、僕は昨日からずっと緊張で眠っていなかった事を思い出した。そして気付くと、僕は生まれたばかりの赤ん坊のように若い笑顔の男女らしき人物に抱かれていた。はっきりと見えるわけではないが、それは父さんと母さんだ。すると今度は少しだけ成長し、よちよち歩きから一人で立って歩けるようになり、両親は拍手してそれを祝福していた。そして僕は父さんに肩車され、横に寄り添う母さんと桜並木を歩く。典型的な幸福の縮図。こんな事も有ったんだっけ。しかしここで視界が割れる。次に見えたのはリビングで一人泣いている母さんの姿だ。そうか、父さんは交通事故で亡くなったんだ。当時はまだ理解できなくて、昼間はなんであれだけ明るく振る舞っている母さんが夜、一人泣いているのか分からなかったんだ。

やがて小学生に僕は変わり、母さんは女手一つで僕を育ててくれた。母さんは夜遅くまで仕事していたから、予め夕食を作り置きしてくれ、学校から帰るとそれをラップ越しから眺めるのがさり気無い楽しみだった。勉強もスポーツも得手不得手が有ったし、大変だったり疲れる事も沢山有ったけど、小学校時代は楽しかったな。全てが輝いていた気がする。

場面は中学に変わる。生徒の指導にも熱心ということで知られる中学校。小学校の時の友達も何人か居たからか、その繋がりで更に新しい友達も出来て、クラスのライングループにも入れた。小学校の時と比べると勉強は以前よりも難しくなった印象で、一応なんとかついていけるかな、といった感覚を抱いた1年の1学期。その頃僕は掃除の時間、ゴミ捨て係を担当していた。掃除という面倒な時間を常に教室に留まって過ごすより、教室の外へ出る機会が与えられるこの係は、丁度良い気分転換になるだろうと考えた末、自ら選んだ係だった。

学校の玄関を出てピロティーより少し先の駐輪場の脇に構えているのが僕の学校のゴミ捨て場。そこに幾つか置かれた青いゴミ箱に、教室のゴミを捨てている最中、僕の背中に突然痛みが走った。真後ろにはほうきをバット代わりに持っている中2、中3の年上らしきラフに制服を着ている男と、この光景を嘲笑して眺めている数人の似たタイプの先輩達が居た。そう、学校から少し離れたこの人気のない場所は、掃除をサボり、だらける運動部の落ちこぼれ達の溜まり場だったんだ。

この頃から僕の生活の天候は晴れから曇り、のち雨へと変わっていく。今更係を変えてくれ、と言うわけにはいかずゴミ捨ての時は毎回あの場所へ行かなくてはいけなかった。あいつらはいつも居るわけじゃなかったけど、ゴミを捨てているほんの数秒間だけでも、とてつもない緊張感が全身に走り、何もしてこない時も有ったが身体的特徴をからかわれたり、相変わらずほうきを使って叩かれ、特にほうきの枝を無理矢理耳に突っ込まれた時は自分の惨めさと何も出来ない悔しさで少しだけ泣いてしまった。「こんなことで泣いてやんの」という言葉が耳に残る中、教室に戻る前に服で涙を拭き、何もなかったという表情で教室に繋がる廊下を歩く。それでも、人の視線が気になって仕方なかったんだ。

自分のクラスも変わり始めた。あいつらが自分達の後輩に僕の存在を知らせたのか、同じ部のクラスメイトとその友達が僕をからかったり、無視するようになった。悲しいことに、彼らの中には僕が中学になって新しく出来た友達も混じっていた。自分を理解してくれている、お互いに助け合える存在であろうと信じていた仲間の寝返りは、時に暴力以上に痛みが残るものだった。この頃からライングループに「来なきゃいいのに」「あいつ男のくせに弱っちいよ」「死んだら面白そう」といった書き込みが増えてきたんだっけ。

それから授業の間の教室移動は一人でするようになった。うっかり机の中に置き忘れた教科書や、持ち帰るのを忘れた体操服が見つからず、少し経ってから教室ではなく少し離れた理科室のゴミ箱からそれぞれボロボロ、あるいはひどく汚れた状態で見つかった事も有ったな。段々とクラスの居場所が無くなっていく・・。嫌な思い出に限って場面が変わらないのは何故なんだ?

担任の先生に相談する事も勿論考えた。しかし、あいつら定番の「チクったら分かってんのか」という言葉、先生がまだ新任で、様々な事に対しあくせくする様子を見ていると、いきなりこんな相談を持ち掛ける事に対して後ろめたさが有ったという事、相談する事=負けを認めるような気がして結局行動には移せなかった。母さんも、小学生の時よりも仕事の大変さ、それに追われている事がはっきりと理解出来るようになり、相談する気分にやはりなれず、今に至る・・という感じか。もう勘弁してほしい。現実を辿るだけの夢なんて、夢じゃない。

すると突然、視界が真っ暗になり、少しずつ何かの音が大きくなっていく。よく聴くと、それは音ではなく誰かの声のようだ。聴き取り不可能な曖昧な形のそれはエコーを効かせながら、ある一定の間隔で繰り返され、少しずつしっかりと聴きとれる声に形を変えていく。

「・・・・良かったね」

一体何が良かったと言うのだろう。こんな人生に対し皮肉を込めて言ってるのだろうか。それとも、僕がこの世から死んで、消える事に対しての良かったなのか。ただ、声色を考えてみると、その言葉には不思議と影や暗さといったものが感じられず、それは女性の声にも聴こえた。母さんの声だろうか?やがて真っ暗闇のどこからか、白い光が差し込んで・・・。



「お兄さん、お兄さん!」


はっと目を覚ます。目の前には心配そうな顔をした駅員さん、そして人気のないホーム、空は黒く、僅かに星が瞬いているのが見えた。そして手には、電池切れのスマホが。

「随分長い間眠っていたみたいですね。体調悪くありませんか?」

「はい、大丈夫です。すみません、わざわざ声をかけて下さって・・」

流石にずっとこの場所に留まるわけにはいかず、僕はアナウンスが孤独に響くすっかり空いた駅を通り抜け、家路についた。駅のロータリーには、相変わらず数台のタクシーが停まっていたが、朝見かけたタクシーとは当然車種も色も運転手も違っていた。

微かに鈴虫の鳴き声が聴こえる夜の道を、一人歩く。昼間はともかく、夜になると少し涼しい。前はこの感覚が憂鬱だったけど、よく眠れたというのも相俟って、今日は妙に心地良い。それにしても、配信はどうしよう。あれだけ大々的に宣言したのに、結局何も出来ず色々言われるに違いない。家が近づいてくる。まだ母さんは帰ってないだろう。

そう思った矢先、玄関には灯がついていた。何と説明しようか。色々考えながら、少しずつ二度と開けないだろうと思っていたドアの取っ手に、情けなくも手をかける。無言の帰宅。この場合、生きているからその表現は合ってないかな。ドアが閉まる音が家中に響いた後、母さんがドタドタと早く、リズミカルなテンポで駆け寄ってきた。

「どうしたの今日!?担任の山下先生から職場に連絡が来て、まだ学校に来てません、って言われて心配で早く家に帰ってきたんだから。朝はやたら早く出掛けるし、スマホに電話やメッセージ送っても、連絡ないし。どこ行ってたのホントに」

僕をしかりそうな少々ヒステリックな感情も見え隠れするが、息子がとりあえず帰ってきた事実に対する安心感が勝っていたのか、その声は思ったより落ち着いているように聴こえた。そして僕は思わず、こう答えた。


「後で説明するよ。それより、お腹空いた」


僕はリビングで、母があらかじめ作ってくれたおにぎりを食べながら、今までいじめに悩まされていた事、それがきっかけで今日自殺を試みようとしていた事、結局寝不足で長く眠ってしまってそれが出来ずに帰ってきた事等、時に涙目になりながらも赤裸々に語った。おにぎりはしょっぱいけど何故か凄く美味しくて、言いたい事を言うと、今まで悪霊のように憑りついていた肩の荷が降り、清々しさが全身を駆け巡った。母は怒るかと思いきや、真面目に話を聞いてくれ、それだけ辛かったら退学届を出そうとか、フリースクールの提案をしてくれた。話を聞いて、提案する。ただそれだけの事なのに、僕はその母の優しさが凄く沁みたのだった。

朝出て行ったばかりなのに、不思議と懐かしい感覚が有る自分の部屋に戻ると、僕は帰った後すぐ充電していたスマホを使って「謝罪配信」というタイトルで配信を行い、緊張して徹夜してしまったら朝の駅で寝落ちしてしまった事、長い夢の中で妙な声を聴いた事を謝りながら伝え、その声に出逢う為に生きていく事を宣言し、配信を辞めた。案の定「大嘘つき」「結局生きたいんじゃん」「腰抜け」「やっぱ死ぬ死ぬ詐欺だったか」「ニュースやトレンドチェックしてたのに何も起きねーからおかしいと思ったよ」といったコメントが寄せられたが、気持ちも体も軽い今の僕には、別に何も気にならなかった。

それからの僕は中学を退学し、中高一貫のフリースクールへ入学、卒業資格も取得し、何とか大学へ進学した。いじめという経験故に人と接する事は他の人と比べると億劫になり、友達も出来にくい分色々苦労したりと正直冴えない学生生活を送ったが、耐性がついた分だけ思ったよりも悩み事を持つ事は少なくなった。そして今、僕は割と最近仲良くなっている数少ない同い歳の知り合いの女性と公園のベンチに座ってあれこれ喋っているわけだ。

「ねえ、何か面白い話してよ。そうだ、まだ中学の頃とか話してくれてなかったよね」

「うーん、ちょっと情けないというか恥ずかしい思い出なんですけど」

「いいよ、ちゃんと聞くから」

「実は中学の時、いじめられていたんです。掃除の時、ゴミ捨て係だったんですけどゴミ捨て場に嫌な先輩達が居て。そこに行く度ほうきで叩かれたりして我慢してたら今度はクラスメイトもいじめてくるようになりました。自分の悩みを吐き出せる場所も無く、配信ライブを始めたらそこでも罵詈雑言浴びせられ、自殺配信をして死んでやると宣言したんです。でも電車に飛び込むはずが寝落ちして、結局夜まで寝てたらスマホの電池も切れちゃって。死ぬ気も無くなって自殺はやめると宣言して配信を辞め、結局母に相談してフリースクールに行ったんですよ」

その辺りまで話すと、彼女の表情が少し驚いたような不思議なものに変わっているのに気付いた。

「どうしたんですか!?」

「その配信していた時のユーザー名ってさ・・」

「えっーと、ijimerareoっていう芸のない名前でしたけど」

気のせいかもしれないが、彼女の瞳孔が大きくなったような気がする。さっきよりも少し遅いテンポで、彼女は語り出した。

「実は私も、同じ頃いじめとか家庭の悩みで自殺しようか凄く悩んでいたの。そしたらたまたま配信サイトであなたが自殺するのを辞める配信を観て、何故かほっとしたというか、私も生きてみようかな、という気分になったんだよ!」

彼女の目は微かに潤んでいて、気付くと僕は自然と彼女を抱きしめていた。そして彼女はこう言った。


「生きていて、本当良かったね」

その声は、あの時夢で聴いた声と全く同じだった。




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