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【詩とは感情の発露である】あなたが日々思うことをしにしてみよう(2018年7月号特集)


STEP02:詩とは? 感情の発露である

自分の思いを素直に書こう

何をどう書いていいかわからないという人は、心のまま、思っまま書いてみよう。それがもっとも詩にしやすいし、書きたいことでもある。詩の基本だ。
思ったことを単に言葉にするのでは芸がないなどとは思わないこと。すごい詩を書こうと意気込むと、技巧にばかり走り、中身のない詩になる危険がある。
それに、基本とはベーシックという意味で、必ずしも初歩的という意味ではない。
下の詩はご存じ中原中也の名作。

汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革衣
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(中原中也「汚れつちまった悲しみに……」、「山羊の歌」より)

下の詩は、90歳を過ぎて詩作を始めた柴田トヨさんの作品。日常の中でふと気づいたことや、つねづね思っていたことを素直に書いている。読むほうも癒やされるが、書いた本人が一番癒やされただろう。自分のために書くためにも、心のままに書いてみよう。

貯金
私ね 
人からやさしさを貰ったら
心に貯金をしておくの

さびしくなった時は
それを引き出して
元気になる

あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より
いいわよ

(柴田トヨ「貯金」、「くじけないで」より)

溶けてゆく
ポットから
注がれる
お湯は
やさしい
言葉のようだ

私の
心の角砂糖は
カップのなかで
気持よく
溶けてゆく

(柴田トヨ「貯金」、「くじけないで」より)

言葉自体のリズム、内在律とは

自由詩は、何をどう書いても自由。自由だから自由詩。しかし、そうなると、何が詩で、何が詩でないのか。
詩は、明治期に定型を捨てたので形式では区別できない。もちろん1 編の長さでも分けられない。それなら改行の多さやセンテンスの長さでは分けられないか。しかし、散文詩がある。
感動や共感の有無では区別できないか。
しかし、エログロの詩もあるから、内容でも分けられない。ストーリー性はどうかと言うと、物語詩がある。叙事詩もある。
では、散文にはなくてもいいが、詩になくてはならないものはと考えると、それは律( リズム) だろう。
このリズムは、調子や響きといった音楽的要素を持ちながらもメロディーではない。
言葉自体が発するリズム、内在律だ。つまり、読む人にリズムが感じられる、そのことにこだわって書かれたもの、それが唯一の詩の条件とは言えないだろうか。

STEP03:詩とは? 発見である

「○○みたいだ」と気づくのが詩の本質

詩を書こうとして机の前に座っていても、なかなか言葉が出てこない。何か書くことはないかと心の中を覗いても、とくに何も見当たらない。
では、どんなときに、どんなことを書けばいいかと言えば、何かに気づいたとき、発見したときだ。
たとえば、「久々に晴れた」とか、「急に夏めいてきた」というのだって発見だ。
発見というと、何か大げさな人生訓のようなものを想像してしまう人もいるかもしれないが、そんな大それたものでなくていい。大それたものでないほうがいい。

庭さきに
血を喀いた人のように
雁来紅が殪れている

(村野四郎「恢復期」部分、「故園の菫」より)

上の詩の「雁来紅」は葉鶏頭という花のことで、それが1本倒れていたのが、血を吐いて倒れた人のようだと言う。作者の主観だ。

冬が来た
きつばりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった

きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た

(高村光太郎「冬が来た」、「道程」より)

この詩は「冬が来て、いちょうの木がほうきみたいだ」と、


蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのようだ

(三好達治「土」、「南窗集」より)

この詩は「蟻が運んでいく蝶の羽がヨットのようだ」、

ある大晦日の夜の記憶
その夜は粉雪がふつてゐた、
わたしは独り書斎の机の前に座つて
遠い除夜の鐘を聴いてゐた。

風の中に断続するその寂しい音に聴き入るうち、
わたしはいつかうたた寝をしたやうに想った、
と、誰かが背後からそつと羽織を着せてくれた。

わたしは眼をひらいた。
と、そこには誰もゐなかった、
羽織だと想ったのは
静かにわたしの軀に積った一つの歳の重みであった。

(西条八十 「ある大晦日の夜の記憶」、「美しき喪失」より)

これは「羽織だと思ったら歳の重みだった」と言う。みな、日常の中のちょっとした気づきだ。
こうした発見は、そのまま比喩にもなっている。ある意味では、「○○みたいだ」を発見することは詩の本質に近い。

知っておきたい詩のテクニック
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※本記事は「公募ガイド2018年7月号」の記事を再掲載したものです。