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【上達の秘訣は「筋トレ」だった?!】文章を書く筋力は一日にしてならず(2014年8月号特集)


文章を書く筋力

 文章を書く筋力というものがあります。
 といっても握力計などで計れるものではありません。
 1枚なら、書いて何度も推敲することも苦痛でないのに、10枚となると書くだけでやっと。しかも、途中から文章がかなり粗くなり、推敲するときも流して読むだけという場合、1枚を書く筋力はありますが、10枚書く筋力はないということになります。

 1枚を1㎞、10枚を10㎞と考えるとイメージしやすいと思います。
 毎日10㎞走れと言われたらきつい。無理すれば走れないことはないが、たぶん三日坊主。そのうち走ることもやめてしまい、体力もつかない。
 しかし、できるところから始め、毎日1㎞でも毎週1㎞でも、決めたらそれをきっちり守り、一定期間続ける。そうすれば自然と書くための基礎的な筋力がついてきます。

 書けないと言う人は、書けないというよりは、能力以上のものを書こうとしてつまずいている人です。
 高望みしても、文章力はそんなにすぐには上がりませんし、ひとくちに文章力と言っても、表現力、構成力、着眼点、発想力、文体、リズム感、人生経験、読書経験、思索など様々な要素がある総合力ですから、一足飛びにレベルアップできると思わないほうがいいです。
「文章力が上がったら、いろいろ挑戦してみよう」ではなく、「今は量をこなすことが質も高める」と考えましょう。

書くことは考えること

 エッセイでも小説でも、原稿を書くというと、実際に書いている図を想像すると思いますが、着想・構想から脱稿までを十とすると、実際に書いているのは半分以下、三分の一以下です。
 では、それ以外は何をしているかというと、考えている。テーマを深めている、掘り下げていると言ってもいいです。

 こんな出来事があった、こんな体験をした、こんなものに出会った、こんなものを見た。それをそのまま書いただけでは単なる報告です。
 そうではなく、それはなんなのか、だからなんなんだと考える。

 しかし、いつまでも考えてばかりはいられませんし、定期的に書くんだと自分にノルマを課していますので、締切が来てしまいます。
 そうなったら、準備不足でももう書いてしまいましょう。「字は埋まったけれど」という状態になるかもしれませんが、それでいいです。

 もちろん、自分なりにベストを尽くさないと能力アップにはつながりませんが、とにかく今は一定期間、定期的に書くことを優先しましょう。
 しかし、不思議なもので、ほとんどノープランで書きだしたのに、書いているうちになぜか考えが深まって、きっちりまとまってしまうことがあります。

 そして、自分で書いたのに、「私ってこんな考えを持っていたんだ」と改めて気づかされたりします。
 書くことが考えを深め、引き出したわけです。

書くことを当たり前にする

永井荷風は「小説作法」の中で、以下のように書いています。小説を書くうえでの心構えですが、文章全般に通じるものがあります。

読書思索観察の三事は小説かくものの寸毫も怠りたりてはならぬものなり。

(永井荷風「小説作法」)

 読書は当然ですね。読むというインプットがなければ、書くというアウトプットもありません。エッセイだけでなく、いろいろな本を読みましょう。
思索は考えること。知識だけ入れて書いてもただの知識自慢にしかなりません。それについてどう思うのかという他人にはない見方が求められます。

 観察はものの見方の基本ですね。なんにしてもよく見る。細部まで見る。人が見落とすところに気づく。そのうえで書く。書きながら考える。
もちろん、テクニックも必要ですが、書くことが呼吸することと同じぐらい当たり前のことになるまで持続できれば、そのときは自然にいろいろなテクニックが身についているはずです。

著名エッセイストは文章の筋力をどうやって鍛え上げたのか? インタビューを掲載!
特集「エッセイを書く欲と力」
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※本記事は「公募ガイド2014年8月号」の記事を再掲載したものです。