【映像も小説も根本は同じ!】どちらにも共通する「面白さ」の秘訣(2013年10月号特集)
リアリティーを持たせる
小説でも映画でも、「そんなこと普通は起こらない、ありえない」と評されることほどつらいものはありません。そこで作家は様々な工夫をします。
マコーレー・カルキン主演の映画『ホーム・アローン』は、家族旅行の際、主人公のケビンが置き去りにされることから物語が始まります。
常識的に考えると、そんなことはまず起こりません。そこで映画では、
叱られて屋根裏部屋に追いやられる。
クリスマス休暇でばたばたしている。
総勢15名の家族旅行。
当日、寝坊し、パニック状態の母親。
という設定にし、置き去りにしてもおかしくないという状況を作っています。
目的を阻む障害の設定
どの主人公も物語上の目的を与えられているはずですが、「こうしたいと思いました。はい、そうなりました」ではおもしろくなりませんから、普通は何かトラブルが起こり、目的はなかなか実現しないように設定されます。
こうした障害をカセ(枷)と言います。人物の行動を束縛するもの、邪魔するもののことです。
カセには時間的なカセ、人間関係のカセなどがあります。
時間的なカセは、「○○までに○○しないといけない」というようなリミットのこと。人間関係のカセは、三角関係や生さぬ仲といったもの。その他、病気や障害、約束、密室、ライバル、自然の猛威などもカセになります。
映画『ターミネーター』のカイルの目的はターミネーターからサラを守ることですが、ターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)は「また?」というぐらい何度も復活します。
そして、それを乗り越えようとすることで物語はドラマチックになり、観客は必死になるカイルとサラに感情移入するわけです。
起にアンチを配す
アンチとは「反対」という意味。
「世界チャンピオンになれそうな人が世界チャンピオンになる」「美男美女が互いに一目惚れして結婚」……これだとあたりまえすぎておもしろくありません。
そうならないためには、起では結末とは反対の状況にする。恋愛映画では、当初は対立、反目し合う二人として始まるケースが多いですし、「シンデレラ」のようなサクセスストーリーでは始まりは不幸のどん底ということが多いです。
周防正行監督、本木雅弘主演の映画『シコふんじゃった』も、卒業のための単位の見返りに、「こんなにカッコ悪いスポーツはない」と廃部寸前の相撲部にいやいや入るのが発端でした。
単に起で結末と反対の状況にすればいいわけではありませんが、最初と最後の変化が大きければ大きいほど、物語はおもしろくなります。
大小様々な伏線を
伏線とは、あとで起きる事件や展開のために、前もって何かをさりげなく示しておくことです。
この伏線がない状態を「あとだし」と言います。つまり、事が起きてから「実は……」と説明するやり方で、これだといかにもあとになって辻褄を合わせた感が強く、作品が嘘くさくなります。
伏線には、大きい伏線と小さい伏線があります。大きい伏線は、結末のどんでん返しにつながるような伏線です。
映画『シックス・センス』で言えば、ブルース・ウィリス扮するマルコムを無視する妻アンナ、死者が見えるという少年コールと、死者が現れると気温が冷えて息が白くなるといったあたりが大きな伏線と言えます。
小さな伏線は、物語の展開というより、話や人物の性格に説得力を持たせるようなもの。たとえば、「短気な性格」と書くのは簡単ですが、それでは説明的で、観客は実感できません。
そんなときは説明せず、「短気な性格」であることがわかるようなシーンを見せることで伝えます。
二面性を持たせ、必死にさせる
映画やドラマではキャラクターに重きが置かれますが、人物を魅力的にするには、まず「二面性」ということが挙げられます。二面性とは、相反する二つの面ということです……
キャラクターをより魅力的にみせる秘訣とは?
特集「エンタメ技法を盗め! 小説に活かす映像のテクニック」
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※本記事は「公募ガイド2013年10月号」の記事を再掲載したものです。
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