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【エッセイの文章はどうあるべきか?】完成度が高まる3つの観点(2016年11月号特集)


1.わかる

エッセイの文章の条件1は、意味が通じること、わかること。

わかっているのは本人だけ

【例文】
昨日はいつものように小夜さんの家で朝食を食べ、そのまま出勤していった。
満天の星空の下、ベッドの中で資料を読みあさった。くさかった。

 小夜さんって誰? 朝食を食べたのに夜? 誰が会社に行った? 会社にベッド? 何がくさかった?
 こうなってしまう原因は客観的な目がないこと。自作を第三者的に見て、「果たしてこれで通じるか」と常にチェックする姿勢が必要です。

構文が複雑すぎる

「梅之助は、劇団創立者の一人で一九六七年、仲たがいして別れた河原崎長十郎から十一の役を、長十郎と劇団の両輪だった父翫右衛門から二十の役を継承した」

『ベスト・エッセイ2016』所収、大城立裕「怪! 関係代名詞文体」

 引用文をさらに引用したものです。「文は短く」と言いますが、例文の場合、問題は長さではありません。複雑さです。このような場合は文を分けるより手がないのに、それを強引に一つにしてしまったので、梅之助が劇団創立者の一人のように読めて誤読を誘うわけです。

 よく読めばわかりますが、よく読まなくてもわかるのがいい文章です。
 自分では何度も読んでいるので意味がわかりますが、書き終わったら改めて他人の目で見る。やはりわかりやすい文章に必要なのは、客観性です。

【例文】
今年は台風が少なかった。今は夜中の三時だ。

 二つの文があれば、読む人はその関係を考えますが、上記のようになんの関係もない文章が並んでいると、疑問を抱えたまま次に進まないといけなくなります。関係のない文は連ねないこと。

【例文】
すき焼きを食べた。箸は輪島塗で、箸置きは飴細工を思わせる光沢があった。今までで一番おいしかった。

「すき焼き」「箸」「箸置き」ときたら、これらと並列の関係にある文を置くか、これらを踏まえたうえで「こうだ」と言うのが普通です。
 または、「おいしかった」と言いたければ、「すき焼きは」と主語を明示しないと意味が通じません。

2.引っかからない

 エッセイの文章の条件2は、読んでいて引っかからないこと。
引っかかるというのは、以下のようなことです。

一、「てにをは」がおかしい。
二、言葉の使い方が変だ。
三、なんだか紋切り表現だ。
四、普通はそうならないでしょ。

 一は、〈入選できなくても応募することが喜びを感じる〉〈私は定年後、公募生活を再開されました〉のような助詞などの使い方がおかしいよじれ文。
 二は、〈文章力向上と語彙を増やしたい〉のような文章。この場合は言い方をそろえ、〈文章力を向上させ、語彙を増やしたい〉か、〈文章力向上と語彙増加に努めたい〉にします。
 三は、〈と思うのは私だけだろうか〉〈と思う今日この頃〉といった慣用表現を指します。
 四は、〈第一に〉で始まっているのに〈第二に〉がないとか、〈すべからく〉と言っているのに〈べし(すべき)〉がないなどです。

 ほかにもありますが、一番の原因は推敲不足だと思われますから、書いたあとに何度も読み返し、時間をおいてまた読み返しましょう。

読んだ人に得をさせるという発想

 文章を読むのは大変な作業です。言葉の意味を理解し、一文を読み解き、文と文の関係を把握し、行間も読む。けっこう疲れます。
 それだけに、読んでくれた人に何かプレゼントしましょう。
それは「新しい情報」「新しい知識」「共感」「感動」「笑い」などです。「知って得した」「読んでよかった」と思えることを一つは盛り込む。そういう姿勢で書かれたエッセイはいいエッセイですね。

3.目に浮かぶ

エッセイの文章の条件3は、書かれている情景が目に浮かぶこと、感じがよ
くわかることです……

情景を浮かび上がらせる文章のコツとは?
特集「エッセイを書く勘どころ」
公開全文はこちらから!

※本記事は「公募ガイド2016年11月号」の記事を再掲載したものです。