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【あなたはエッセイストに向いている?】エッセイを書くのに必要な「自分観察者」という感覚(2017年9月号特集)


※本記事は2017年9月号の岸本佐和子さんのインタビューを掲載しています。

構想通りに進まず筆が滑ったときのほうが面白いものが書ける

――「澱が溜まる」は「記憶力がいい」とはまた違うのですか。

 記憶力がいい人は、運動会や卒業式などもきちんと覚えていると思うんです。私はそういう大きなイベントのことは一切覚えていません。誰かの表情がどうだったとか、電車の中で耳にしたくだらない話とか、どうでもいいことばかり覚えている。体質でしょうね。

――エッセイを書くうえでは役立ちますね。

 エッセイを書き始めた頃は、それまでの人生数十年ぶんの澱が溜まって発酵していました。今は使い果たしてきれいになってしまいましたが、毎日何かしら経験はしているわけで、今は自分の内面がどう動いたかをじっと観察する「自分観察者」として書くことが多いです。書く材料が自分以外、何もなくなってしまったので。

――どう観察するのですか。

 脳を細かくウオッチして、ささいなことをしつこく考えていく。
 そうすると、疑問がわいてきたり、現実世界での体験が種になって、頭の中で思わぬ方向に転がったり、自分でもまったく忘れていたことを思い出したりするんです。

――そこからどう書き進める?

 このエピソードを中心に書こう、最後はこういうふうにしようと、仮でもいいので最初に全体の流れを決めてしまいます。まず「これなら書けそうだ」という道しるべを作り、自分をだましてようやく書き始めることができるんです。

――構想通りに進みますか。

 いかないことのほうが多いですね。筆が滑ったときのほうが面白いものが書けます。「かわいいベイビー」というエッセイは、「赤ん坊」って気軽に使っているけれど字面だけ見ると気持ち悪い言葉だというとこから始まり、「爆乳」「ナマケモノ」など、「赤ん坊」に類する言葉を羅列して終わろうと考えていたんです。
 でも、最終的に「赤ん坊」と「ナマケモノ」がつながって、両者が首都決戦をするという思ってもみないラストを迎えました。

――気になったことをメモすることなどはあるのでしょうか。

 面白いニュースを見たときなどは、手近な紙や腕にすぐメモするようにしています。それがきっかけで記憶が引っ張り出され、結びついていくこともありますね。

――ニュースがきっかけになってできたエッセイはありますか。

 まだ単行本には収録されていない「カバディ性」というエッセイがあります。これは「ある高校生が、蚊に刺されやすい人は足の裏の雑菌が多いという世界的な発見をした」というニュースがきっかけになって書いた1本です。

――「蚊」と「カバディ」がどう結びついたのでしょうか。

 このニュースを見たとき、10年前くらいに友だちとカバディについて話したことを思い出したんです。当時、カバディはあまりその存在が知られておらず、私がいくら「息継ぎしないで『カバディ、カバディ』と言いながら攻撃するスポーツ」と説明しても、「またでたらめを言っているよ」と誰も信じてくれない。「インドが発祥の地でオリンピック競技にもなっているんだよ」と言えば言うほどバカにされて。

――想像すると笑えます。

 そこに1人遅れてきた人がいて、「カバディ? ああ、もうすぐオリンピック競技になるよね」と言ったら、みんなすぐさま「そうなんだ」と納得したんです。ずっと忘れていたけど、ちょっと腑に落ちない出来事だったので、澱として残っていたんでしょうね(笑)
 そこで、この蚊の話も面白いから人に教えたいけれど、カバディのときみたいにどうせまた信じてくれないから話さない、という感じでつなげました。

最初は友だちに話したくなるようなことから書いてみる

――エッセイ初心者に「書くコツ」を教えるとしたら?

 思わず友だちに話したくなるようなことは、書きやすいかもしれないですね。私の初エッセイは、翻訳専門誌の編集者をしていた友だちに頼まれて書いたものでした。
 一番仲の良い子で、いつもバカな話をして笑い転げていた相手だったので、いつも彼女に話していたような「寝る前に頭の中でしりとりが止まらない」というくだらない話を書いたんです。

――技術的なことで、読者がすぐ取り入れられるものはありますか。

 削ること。谷崎潤一郎の『文章読本』に、素人の書いた文章を推敲した例が載っているのですが、これが面白い。書き手は身近な人と別れた気持ちを「暗い暗い気持ちに沈んだ」と書いていますが、谷崎は「暗い気持ち」だけでいいとバッサリ削っているんです。
 だいたい私たちが書く文章は、たいていくどくどしい。自分が暑苦しく思っている感情を、ただ暑苦しく言えばいいっていうものではないんですね。なるべく簡潔に、無駄を省いたほうが伝わりやすい、というのはあります。

――削るとなぜ伝わりやすくなるのでしょう。

 言葉を濫費して隙間なくびっちり語れば、そこで読み手の思考が止まってしまうからではないでしょうか。出来事や観察したこと、そのときどう考えたのかなどを客観的に書けば、しつこく書かなくても、読み手が勝手に想像してくれるはずです。想像力を働かせる余地を残しておくんです。

――それについていえば、岸本さんの「くだ」というエッセイがいい例かもしれませんね。盲腸で入院して学校に戻った小学生のとき、「少しのあいだクラスのスターになり、それからすぐ飽きられた」と客観的な描写で終わっています。確かに「飽きられてこう思った」「こういう状況だった」みたいな説明は一切されていませんが、伝わってくるものがあります。

 情感を込めずに冷静にルポして書いたほうが、エッセイは面白くなるんです。出来事をその通りに書いてもその人の個性は出ます。

――なかなかエッセイが書けないという読者にメッセージを。

 書けないという人は、エッセイ=素敵、というイメージに惑わされているのかもしれません。「素敵なことを書かなくては」「自分をよく見せよう」「何か有益なメッセージを伝えよう」という思いが、エッセイを書く敷居を高くしているような気がします。こういうものに縛られると、まず退屈なものしか書けない。試しにものすごくくだらない、無益なことを書いてみてください。「鼻がかゆい」とかね。
 所詮、文章はただの字ですからね(笑)。私はエッセイ=頭から出た汁だと思えばいいや、と開き直っています。

岸本佐知子
1960年生まれ。上智大学文学部英文学科卒。洋酒メーカー宣伝部勤務を経て翻訳家に。リディア・デイヴィス『話の終わり』など訳書多数。現在、文芸誌『MONKEY』でもエッセイを連載中。

あなたはいくつ当てはまる?
公募ガイド社が考えるこんな人はエッセイ向きチェックリスト

□ 活字ならスナック菓子の裏の文字でも読む。
□ 休みの日は一日中、何か読んでいる。
□ カバンには必ず文庫が一冊入っている。
□ 日記を書くと1日に数ページ埋まってしまう。
□ 空想癖があり、車の運転をするときは要注意だ。
□ 毎日少しずつこつこつやっていくことができる。
□ 実は負けず嫌いで、勝負には勝ちたいと思う。
□ 自分は世に出る人間だと、根拠のない自信を持っている。
□ 学校の成績は別として、実はかなり頭脳明晰なほうだ。
□ 創作以外の能力は、はっきり言って無能に近い。

0~3個
書くのは好きだが、書かなくても平気なタイプ。短い文や短詩型で意外な才能を発揮することも!

4~7個
「うまいね」とよく言われる。苦手な分野はとことんだめだが、得意分野では筆が走りまくる。

8~10個
本の虫と呼ばれていたタイプ。しかも書く以外の才能は皆無。
ほかに逃げ場がないので書くしかない。

特集「描けば心も財布も満たされる!エッセイ公募」
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※本記事は「公募ガイド2017年9月号」の記事を再掲載したものです。

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