【笑いを制する者は創作を制す?】お笑いと小説、芸人と作家の意外な関係性とは
お笑いと小説は表現方法は違うが、考え方は似ている
漫才やコントを作るときも、まずアイデアが必要になりますが、アイデアは日常生活の中から探します。
たとえば、「コンビニのレジに並んだけど、店員が気づいてくれなかった」という出来事があったとして、ぼやき漫才なら自虐ネタにするでしょう。
また、それが笑い話になるように設定を変えたり、話の順番を変えたり、ツッコミを入れたりして脚色していきます。
このあと、お笑いは実際に演じ、小説は文章で表現するという違いがありますが、ここまでの過程はかなり似ています。
とっかかりのアイデア
作りこみ
演技(小説は描写)
ということで、ここでは小説と共通する1と2について説明していきます。
芸人と作家、ジャンルは違うが同じ種類の人間
さて、最近は小説を書く芸人が多く、自らも小説を執筆したことのある「爆笑問題」の太田光さんは、テレビ番組の中でこう語っていました(以下要約)。
「芸人は文学をやるような連中なのかもしれない。お笑いやコントをやっているような連中は、あらゆる方向から考えるクセがついているのかもね」
芸人として常にアイデアを練っているから、小説を書いても発想が秀逸ということでしょう。
また、芸人や作家になりたいと思った人は、いい意味で変人、あるいは、世の中のはみだし者というところがあります。
人間としては同じグループに属すものの、たまたまアウトプット先が違ったというだけなのかもしれません。
お笑い芸人が、面白い発想をする2つの理由
お笑い芸人たちは、なぜ面白い発想ができるのでしょうか。理由は2つ考えられます。
前述したように、芸人は(いい意味で)はみだし者が多い。こうしたアウトサイダーは、世の中のおかしいところ、面白いところがよく見える。
それは外国に行くと、その国の特徴がよくわかるのと似ています。
外にいる人には中がよく見える。
逆に言えば、世の中の中心にいて安住しているような人には小説は書けない。少なくとも世の中とズレていることは必須です。
また、劣等感があり、優等生をはすに見ているようなひねくれ者であるのも不可欠。みんながみんな右に行くなら俺は左に行くというあまのじゃくがユニークな発想を生むわけです。
お笑い芸人が面白い発想をするもうひとつの理由は、日常的に発想のトレーニングをしていること。
お笑いライブがあれば、新ネタを考えなければなりませんし、毎日が大喜利のような生活です。
発想を鍛えたいなら、あなたも芸人になればいいわけですね。実際にはならなくても、なったつもりになって、変人、ひねくれ者を目指す。そして日々ネタを考える。それを続ければ、必ず創作に生きてくるはずです。
なぜだろう、気になる、と思ったらチャンス
日常の中で「?」と疑問に思ったりすることがあります。そのときがアイデアを得るチャンス。
たとえば、群馬県で高速道路に乗ったときはまわり中が群馬ナンバーだったのに、東京に入ったあたりではもう群馬ナンバーはいない。彼らはいったいどこに消えたのか、と思ったとしましょう。
別に不思議でもなんでもない、群馬の人は群馬に帰っただけですが、それで終わりにしてはもったいない。別の解答を考える。
「あんなにいた群馬ナンバー、どこに消えたんやろ」
「あいつら、東京に入った途端、品川ナンバーに変えるんやで。ボタン一つでクルっとな」
「007か」
「東京人のふりしてるけど、ホンマは群馬県民か埼玉県民や」
「へえ、そうやったんかーって、そんなわけあるかー。群馬県民と埼玉県民にいっぺん謝れ」
このアイデアにも大中小があって、10分のコントになる大ネタもあれば、10秒で終わる小ネタもあります。これは小説で言えば、長編向きのアイデアか、短編向きのアイデアかと同じです。
アイデアが結実するまでにはまだ難関が
アイデアを思いついても、問題はそのあとです……
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※本記事は「公募ガイド2017年6月号」の記事を再掲載したものです。
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