繰り返しているけど少し違う
ぼうっと過ごしていると仕事をして帰ってくるだけ、週に2日の休みは好きに過ごす。そうやって7日間を1セットにどんどんどんどん時間が過ぎていって歳をとっていって気づいたら10年くらい経っているわけです。
びっくりするのは、なにもしないと驚くほど毎日が似通っていること。
でも、そうでない日も経験してきた。自分から何かに向けて動けば毎日は驚くほどに変化に富んでいて心が休まることは決してない。毎日毎日緊張の連続で、どうしていいかわからなくなってただただ解放されることだけを望んだりもする。
もうある生活に浸っていると、そうはならない。
一つどころに根を張り出して、そこにい続ける。い続ける時間が経験になりそれは周囲にとって益のあるものになる。時間と経験は比例するらしいけれどそこにはセンスがいると思う。ただただのうのうとい続けるだけでは経験はたまらず、そこにいる何かしらの容量を得ないと決して経験として蓄積はされないらしい。
私はいま根を張っている。
そこにいつづけている。ばかではないからそれなりにセンスを発揮してそこにいる。そうするとそこに人が集まり始める。それは他人にとって多少なりとも有益と思えられるものがあるらしい。だから私はそこにい続けられる。これがきっとやりがいだったりという言い方ができる仕事なのだろうとなんとなく感じている。でも、そんなものはあっさりと捨て切ることができるし、捨て切ってしまえばどうとでもないことで、そんなふうに認識しているから私はそこに満足することはなく、うまくそこに当て込まれた私自身を空虚なものだとなんだか哀れに感じた。
目標のない人生はこうもふわふわとやりがいのないものになる。
けれど、金はもらえるし好きなことはできるしそれなりに時間は過ぎる。
そこに満足するかそうではないかが別れ道なのだと思った。
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