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時間のずれた日のこと

今日は仕事がある日なのだったのだけれど彼女はもう仕事を終えてしまったから家にいた。1日のうちやらなければいけない仕事があれば仕事をするし、もう仕事がなければまた明日働けばいい。まだ同僚がいる中で、仕事が終わった彼女はおもむろに身支度をして「おつかれさまです」と帰り際の雑談などに引き止められることなくさっと帰宅する。

まだ帰宅時間になっていない駅前は夜とはぜんぜん違う人たちがいて、まじまじと観察してしまうけれど、目の前にいる何百人は彼女にとっては美術館にある展示物のようなものでしかなく、見て感想を抱く対象物でしかなかった。そんな対象物が夜の深い時間になると近づいてきて話しかけたりすることも知っていて、それが起きるたびに彼女を辟易とさせるのだけれど、この日はそんなことは起こらなかった。

時間のずれた日。いつも行列ができているお店はまだ閑散としていて、電車に乗っている人はまだ仕事をしてどこかに向かおうとしていて、学校を終えた学生の数の方が多かったりする。あと数時間でこの景色がいつものようになってしまうのだけれど、私はそこではなくてここにいるのだと少し変な感じがする。でも心地よい。家にはまっすぐ帰らず行ってみたい場所に行ってみようかと思える1日の終わりなのに余裕が少しある感じ、早速行ってみることにした。

そこから歩いて行けるだろうと思える駅で降りて、少し小腹が空いていることに気づく。どこか喫茶店かカフェか入ろうと思いながら、いつから私は喫茶店かカフェとふたつの名前で考えるようになったのだろう。どちらでもいいのだけれど、やっぱり違うのだとも思う。喫茶店はその場所を楽しみたいと思う時に行く。人との距離がちょっとだけ近い。店主の人の雰囲気が大事。カフェは人がたくさんいるのだけれど、人を感じたくないときに行く。勉強したり集中して本を読んだり、一人でいたいときに行くのだ。今日はどちらでも良い。歩きながらそこにあった喫茶店に入ることにした。サンドイッチとコーヒーのセットを頼み、ぼうっと店の中を見渡す。小さめのお店。人は3人。スーツのサラリーマンと近所に住んでいそうな男性が2人。それぞれ一人で座っている。同じタイミングで出してもらったコーヒーとサンドイッチ。食べながらコーヒーに口をつけるとパンとコーヒーの相性の良さに満足感を覚える。ここで腹ごしらえができてよかったとなおさら満足してお店を出る。

おそらくここから左の方に歩いていけばよい。そんな方向感覚で歩いていく。およそ一駅くらい歩いてまた駅前に着くと時間も経っているから人が増えていた。仕事を終えた人たちが帰ろうと駅に集まる。駅前にある飲食店に向かう。その人たちを呼び込もうとお店の人が路上に立っている。夕飯の買い物をして帰る人たち。彼女はそのどの人たちとも違い、てくてく歩いている。ちょうど行き当たった鯛焼きやさんの誘惑に負けてしまい、鯛焼きを買う。随分悩んでクリームの鯛焼き。買った後に気づく。あ、歩きながら食べられないのか。もうマスクはしなくていいなんて言われてもいるけれど、みんなマスクしてるし、残念な世の中だ。そう思って温かい鯛焼きをカバンにそっと入れて先に進む。

やっと着いたそこは川で、幅が広いからそこだけ空が開けているような感覚を覚えさせてくれる。心もすっと広くなるような、開放感に満たされる。ちょうど夕日が沈む頃で、空は青と赤を混ぜ合わせたような色がどんどん暗くなり始めて、対照的に橋を照らしはじめた照明の光が揺れる川面に反射して目立ちはじめる。しばらく歩きながら、ちょうど良い位置にあるベンチに腰掛けて、しばらく座って落ち着く。心地よい時間。いつもとずれた時間。ただただこの時間が彼女を満たしはじめる。キラキラ光っている川面を見つめると自分が真っ白になったような、不思議な感覚で眺め続けていられるのが気に入っているところ。

少し肌寒く感じるようになるほど時間は過ぎて、彼女は彼女の中に戻ってくる。さっき買った鯛焼きがカバンにあることに気づいてうれしくなる。カバンを開くと、もう温かさは無くなっているものの、生地とクリームの匂いがふわっとして心を満たす。食べながら、しみじみ思う。私がしたいことって、こういうことなんだよな。食べ終えてまたぼうっとする。

また寒くなってきて、そろそろ帰ることにする。子供の頃に行ったお祭りの、それが終わって帰らなくてはいけないときのような寂しさを感じる。ああ、これからまた生活に戻らなければいけないのか。そう思ったのは束の間で、また彼女は都会で暮らす時間通りの人になり、帰宅を急ぐ人の流れの中に混じって見えなくなってしまった。


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