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人生という壮大な暇つぶしゲームに必要なこと

人生は壮大な暇つぶしって言われることがあると思いますが、分かる気もするしなんだか納得出来ないような気もする。それは人生というものは何も意味がないように思うと同時に、何か大事な意味もあるように感じるからだと思います。


人生をゲームに例えてみる

そこで、人生というものを一旦終わりのあるゲームだと考えてみることにしたのです。これは何故か?ということですが、学生の時良く見ていて好きだった写真家さんに畠山直哉さんという方がいらっしゃいます。その方がこんなことを言っていたんです。

「黒板に一つの丸を描きます。でこの丸は大きいですか?小さいですか?って聞くと分からないですよね?でもその隣にもう一つそれよりも大きな丸を描いて見ます。その時最初の丸は小さかったことに気づくんです。こんな風に写真というのは現実を見るための道具なんです」って

私にとってこの話が比較をして相対化するということの凄さを知るきっかけになったんですが、それは置いておいて。

だから今回人生を考えてみるにあたって、ゲームという比較対象を設定してみましたということなんです。それが何故ゲームなのかは特に意味はなく、単なる比較対象として良さそうだなと。

で、そう考えた時たった一つにしてほぼ結論みたいな話に出会いましたw

フロー理論で人生を考える

それがチクセントミハイノのフロー理論です。
所々で聞いたことがある理論だと思いますが、ふとこれ人生というところから見ても繋がるんじゃないか?と思ったんです。もともとフローというのはスポーツとかのゾーンに入るみたいなことで、「高い技術力を必要とされる仕事などに没頭しているとき、疲れをしらず、時間の過ぎるのも忘れて活動を続け、永続的な満足感を得られていること」ということらしいです。もともとこの方は「生きる希望」をなくしてしまった大人達の姿を見ていたため、「生きる事とは何か」「幸せとは何か」を自問自答していた、ということらしいので、人生についての幸福ということを考えてらっしゃったみたいですし、もともと人生というテーマから導き出された話だと考えられるわけですね。

で、このフロー理論の内容とは・・
簡単に言うと、難易度と技術力が一致した時に満足感が得られると言うもの。

つまり・・
◯難易度が低く、技術力が高いと
 簡単すぎてつまらない。
◯難易度が高く、技術力が低いと
 難しすぎてつまらない。

ということです。つまりちょっと難しいけど頑張ったら出来るとか、難易度と技術力が拮抗している感じの時に満足感が得られ、楽しいと思えると言うことかなと思います。

フロー理論とゲームについて

これってどうでしょう?ゲームをやっている時も同じじゃないでしょうか?私は最近のオンラインゲームをしていないのですが、昔のRPGをやっている時の感覚はまさにそんな感じです。というよりRPGというものはそもそもキャラクターが強くなるとそのまま敵もちょうど強くなっていて、むしろ味方と敵は同じように成長して、まさにずっと拮抗した状態だからこそ楽しみがある。飛空挺を手に入れてちょっと前のストーリーで攻略した場所に戻るとその時の敵は弱すぎて面白味なんか何もない。見知らぬ土地を見つけて降りてみたらそこの敵は強すぎて一瞬で殺されて何が起こったのか分からないくらいでつまらない。

じゃあ、これを人生で考えて見るとどうでしょう?一応この内容を自分なりに整理するためにも「ゲームライフ理論(仮」としておこうと思います。

いよいよ人生をゲームと比較してみる

私達はあるゲームを初めてプレーすることになります。それが人生というゲームです。ですがこのゲーム、実は最初からハードモードの設定になっているわけです。だから普通に進めていると敵が強すぎてバトルが終わると一回ごとに回復させたりなんやらでめちゃくちゃ大変です。だからなんかつまらないなーって思うし、しんどっ!って思う。でもですね、どんどんレベルが上がってくるとハードモードでもなんとか攻略できるようになってきて、意外に面白いゲームなんじゃない?って思えてくる。その時のレベルアップに当たるもの、フロー理論で言うところの技術というものが、「学び」なんじゃないかと私は思ったんです。この人生というゲームでは、学べば学ぶほど世界の深さが分かってきて、この難しいゲームを攻略出来るようになって段々楽しくなる。逆に学びがないと、世界は難しく複雑すぎてなんも分からずつまらなく感じる。意外とそんな感じなのかもしれないと思ったんです。

そしてこんな風にも考えられます。

RPGで毒にやられると、歩けば歩くだけHPが削られゲームを進めるどころじゃなくなりますよね?とりあえず毒消し探さないとゲームの継続が出来ん!毒が気になって進められん!ってなります。人生でも同じです。病になれば人生を楽しむとか人生を進めるとかにそもそも意識を向けることが出来なくなります。だから人生を楽しむためには毒は無くしたい。社会において毒消しを持つことと、自分がこうなった時にはこれがあったほうが良いなーという、自分にとっての毒消しを知っておくこと。それはとても大切なんだと思います。

そしてそして、RPGではとりあえず体力が消耗したら、宿屋に行ったりセーブポイントで全回復したり出来ますよね?ゲーム初期は宿屋に泊まるのもやや金額が高いと感じるかもしれませんが、大体ほぼタダみたいなもんで泊まれて回復出来ます。あそこにいったらとりあえず全回復出来るっていう場所があるから、ちょっと頑張ってみることも出来る。それにやり直し出来る場所(セーブポイント)を知っているから難しいダンジョンにも挑戦出来る。最悪ゲームオーバーになるくらい無理しても、セーブポイントからやり直しが出来るということを知っていることが安心感を生む。逆にずっとセーブポイントがないとか、宿屋がないと不安ですし、あーもう早く回復したい!ってイライラがつのりますよね?だから人生にも安くて安心できる宿屋が必要なんです。それがきっと人生においては、寝る場所であり、日々のご飯、つまり“ホームグラウンド”なんだと思います。寝る場所と日々のご飯があれば、難しい人生も前向きに進められるし、人生を楽しむことが出来る。難しい問題にぶつかって疲れ果ててだめだー!ってなってももう一度セーブポイントという“いつでも帰れるホームグラウンド”に戻ってから頑張ってみよう!ってなるんだと思う。だから日々寝る場所とご飯を食べれるというホームグラウンドの安心感がとても大切で、同時に寝る場所や食べるご飯がないという貧困をなくすことが大切なんだろうなーと思うんです。きっと貧困のない世界では誰もが生き生きと人生というゲームをプレイ出来る。そんな風に思います。

一旦まとめ

こんな風に考えることが自分にとってはとてもわかりやすくて整理してみたのですがどうでしょう?私は個人的にはなんだか納得出来たんです。

日々つらいなーとか人生がつまらないなーと思ったら、何か学んでみる。

世界を楽しむ技術は学びであって、難易度の高い人生というゲームは学びがないと難しすぎる。だけど学びが進んでいくと段々と世界の複雑さや難しさが分かってきて楽しくなってくるんじゃないだろうか?

そんなことを想像したのです。

そして同時に、

安心してゲーム(人生)を楽しめることが大切で、いつでも回復したり休むことが出来るホームグラウンドを用意すること。

これがセットにならないとダメだろうなと思いました。これは個人的な活動では難しいかもしれません。きっと社会的な再配分のことになるでしょうね。ベーシックインカムとか。お金じゃなくても、家が安く借りれるとか、ご飯が食べられるとか。そう考えた時、私達は人生というゲームで安心な宿屋とセーブポイントを獲得するためにほとんどの時間を取られてしまっているとも言えるわけです。住居費用と食費。ゲームでいうと、プレイ時間の半分を回復するためのお金稼ぎの時間に費やしているということですし、そうなると純粋にゲーム自体を楽しむことは難しいかもしれませんね。なんだかベーシックインカム的なものの存在は、人生を楽しむためには不可欠に思えてきます。

子供と一緒にゲームをすること

あとはゲームを始めたけど、どうやってストーリーを進めたら良いか分からないからつまらないというやつですね。きっとこれは誰かが教えてあげることが大切なんだと思います。人生ではその最初の人が両親なんだと思う。だから両親は、子供が人生というゲームをプレイする楽しみを伝えてあげなくちゃいけなくて、子供のゲームを横取りしてこうやって進めなさい!とか、こうやって攻略しなければならない!とか強制してはダメなんだと思うのです。子供が自分自身で人生というゲームを進める楽しみを知ることが大切で、子供が悩んでいたりしたらそこに寄り添って「こうやって進めたらいいんじゃない?こうやってみたら攻略出来るんじゃない?やってみてごらん?」って伝えてあげる。私も子育てをしながらそのことを忘れないようにしたいなと思ってます。子供も親もどうやって進めたら良いのか分からない時は、攻略本を読んで一緒に進めたらいい。攻略本は人生においての「本」でもある。そんな気がします。

ゲームをすることに意味はあるかな?

そして最後に。皆さんはゲームを何のためにするでしょうか?私は「このゲームをやりたい」と思って始めます。でもたまに自分はやりたいと思ってなくても友達におすすめされてやることもあります。そしたらやってみたらとても面白かった!っていうゲームがないですか?

まさに人生というゲームは友達にオススメされて始めるゲームなんじゃないかと思うんです。つまり両親にオススメされたってことですね。だから両親はそのゲームの面白さを知っていてあげてほしいと思うんです。子供はそれをやってみて、面白い!と感じたら凄いこと。でもやってみて面白くなかったら、友達(両親)に何がこのゲームが楽しかったのか聞いてみて、なるほどなーと思ってもう一度やってみる。それでも分からなかったらそのゲームはやめてしまうかもしれない。そこでゲームをする気が起きなくなって、どうしょうもなくなった時は本当に大変です。でも、そんな時にちょっと何か学びをしてみると、新たなゲームの面白さを発見出来るかもしれない。フィールドに出て何か探してみたりすると、ふいに面白いイベントが発生するかもしれません。

そんな風に思うのです。

私達はみんな両親から人生というゲームに招かれているわけですが、意味があるかないかは正直分かりません。でもこのゲームに参加する機会をもらえているということは事実。そこでどんなプレイをするのかは自由だけど、「学び」を通して前向きに人生というゲームを楽しんだほうが素敵じゃないでしょうか?
そんな結論で今回の話は終わりです。

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