江東社会的養育を考える会 コラム

社会的養護とは、親と暮らせない子どもに生活の場を保証する分野を指します。普通の生活の中では出会うことの少ない世界です。虐待によって親と一緒に暮せない場合や、経済的理由や家庭トラブルの事情で一緒の暮らしができないなど様々な背景を抱えている子どもが対象となります。

江東社会的養育を考える会 コラム

社会的養護とは、親と暮らせない子どもに生活の場を保証する分野を指します。普通の生活の中では出会うことの少ない世界です。虐待によって親と一緒に暮せない場合や、経済的理由や家庭トラブルの事情で一緒の暮らしができないなど様々な背景を抱えている子どもが対象となります。

    最近の記事

    養子縁組を考える

    家族構成のバランスが崩れることがあります。そんな時、外から子どもを迎え入れて家の形を整えることをしてきました。言葉としては「養子を取る」とも言い、幾つかのパターがあります。 ・成年養子は、主に財産や家名を継ぐためと言われています。 ・連れ子養子は、再婚相手の子どもと法的な親子関係を結ぶものです。 ・親族の子を養子にする例としては、祖父が孫を、叔父が姪を養子にするなど。 ・他人の子どもを養子にする場合 特別養子:家裁の審判が必要で、実親と関係が断絶します。(認容件数711件)

      • 養育里親の歩み(その2―2)

        明治初期 明治の維新が成ったと言っても、江戸の町の荒廃は凄まじく、浮浪者が町に溢れるありさまでした。明治政府に引き継がれていた町会所のもとで、お救い米を与え、救い小屋、炊き出しの救済活動を行っています。救育所は三田(港区)と高橋(江東区)を設けられ、浮浪者は国元に帰すのが主な仕事でもありました。これまでの積立金が底をつくことになり、明治4年町会所は廃止となります。 それでも浮浪者は跡を絶たず、明治5年首都の体面を保つために、浮浪者を収容したりしています。収容先として前田侯

        • 虐待通告後の顛末

          虐待と向き合ってそれなりに対応している機関は多くあります。学校や保育施設、警察や地域の相談機関など多岐にわたり、全貌を把握することは難しいところです。新聞で発表のあった19万件は令和2年度に児童相談所が受理した件数です。 区市町村の相談受理件数は公表されており、その数は平成2年度で約12万件となっています。児相と合計すると30万件を越えます。ただし、区市町村から児相に通告した件数が重なりますので、正確な数値は分かりません。参考までに最近の通告件数を伸ばしているのは、警察から

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          • 養育里親の歩み(その1-2)

            子育てがピンチになった風景を古川柳から眺めて見ると、 「乳貰い、袖に突っ張る 鰹節」・・有名な句です。かみさんと離婚したのか、逃げられたのか、死別したのか、とにかく父親は赤子のお乳を確保しなければなりません。お乳の出る人を探して頼み込むしか方法がありません。お礼に用意した鰹節が袖から突っ張っています。この親子は生活を続けられるでしょうか。父親が再婚して継母との暮らす道、知人を頼って里子の出すこともあったでしょう。 捨て子という選択も考えられますが、江戸時代も安定期になると

            高校卒業後の進路

            全高校生、児童養護施設を終えた若者、里子を比較してみました。施設出身の若者の進学率の低さが一目で分かります。高校生全体をみると、7割の若者が何らかの教育機関にたどり着いており、高卒で就労という若者が少数組になってきました。 機会平等の意味から、給付型の奨学金や生活支援金制度の発足などが始まり、格差は狭くなることを期待しています。 高校卒業直後の姿は、学校基本調査で正確に分かります。福祉の分野は、民間機関が厚労省からの委託で調査したデータがありますので、それを使って表にして

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            里親制度のあゆみ(その6)

            令和時代への期待 第1ラウンドは平成28年6月に児童福祉法の改正から始まりました。 第1条(児童福祉の理念)に「児童の権利に関する条約の精神にのっとり」と、権利の表現が登場します。ここで言う条約とは、1989(平成元)年に国連総会で採択されたもので、日本で批准をしたのは1994(平成6)年です。30年かかって、やっと国内法に反映したことになります。 今期の改正は厚労省の有識者会議でまとめ切れずに、大臣が引き取って改正に漕ぎ着けます。争点としては、①子どもが権利の主体である、

            里親制度のあゆみ(その5)

            5)平成時代 平成の初めの頃は日本中がバブルに浮かれていた。平成7年突然バブル経済が崩壊する。その頃から虐待がマスコミに賑わせはじめた。全国的に非難の嵐が起こり、その矛先の児童相談所ではなす術がない状態であった。社会的養護では虐待を受けた子どもへの対応として、親のいる子供への対応も求められるようになった。里親と言えば、縁組里親が底流にあることに変わりはないが、縁組を目的としない里親制度に世間の関心が向くようになっていった。 平成14年には専門里親と親族里親が加わり、里親の最

            社会的養護の分野のコストは?

            コストのことは複雑で担当部署の人以外、分からない世界です。手元に日本財団のコストについて調べた「子どもの家庭養育のコスト構造に関する調査報告書(2017年7月)」がありましたので、その一部を使わせて頂きます。  社会的養護の経費は4分野に大別して考えてみることができます。 a 児童相談所や都区の担当部署の経費 b 施設整備関係の経費 c 事業費〈子どもの一般生活費など〉、 d 事務費(職員の人件費、施設の運営など) aとbは外からは簡単には分かりませんし、今回のテーマから

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            5万人から1千人へ

            戦後直後の養子縁組新規受理数が4万5千組あったのが、急速に減少し平成の時代には1千組(許可件数を見ると令和1年には677組)になってしまいました。 養子をもらって家を継ぐという考え方が,戦後もろくも崩れています。戦前までの家族観は何だったのだろうか、戦前までの家制度が廃止になり、新しい家族観に見事に変わってしまったのです。それまで無理をして家制度を守っていたのでしょうか。この急激な変化の評価については、判断を皆様にお任せしたいと思います。 この流れとは別に、期待しなかっ

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            養育里親の歩み (その4)

            4)東京都養育家庭制度 昭和40年代の高度成長とともに生活スタイルが変わり、当時の大都市圏では革新系の知事が誕生し、新しい歩みが感じられる時代になっていました。東京都も美濃部都政が誕生し、福祉に新しい流れが見えはじめました。 一方では経済の拡大に伴って、格差の広がりも目立ち出し、社会問題ともなっていきました。若い夫婦の共働きが出始め、合わせるように乳幼児の施設保護が増えていきました。マスコミではコインロッカー棄児事件や出稼ぎ夫婦の「出稼ぎ孤児」も話題となりました。 また

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            235人知っていますか

            江東区で親と一緒に暮らしていない子どもの状況はどうなっているでしょうか。 2015年の国勢調査報告「親との非同居児童数 」から13歳を例にとると、全体で3600人の中で、両親と同居:3000人、一人親と同居:630人、非同居の子ども:15人となっています。親と一緒に暮らしていない子どもは15人で、社会の中ではごく少数で、目立たない存在であることは無理のないことです。しかし、ごく少数ではありますが、この子どもたちのことを忘れないで欲しいと思います。 児童福祉法の対象となる0

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            養育里親の歩み(その3)

            戦後の混乱期 戦争の後の緊急の課題として戦災孤児と結核児童の問題が浮上し、児童養護施設の増設と病児施設の整備が進められていった。戦災孤児が海外に養子として渡っていったのもこの時期である。終戦直後は財政的理由から入所型施設を主とせざるを得ない事情があり、集団養育が定着していった。一方、養子縁組は継承されて戦後を迎えるが、その後は急速に養子縁組の件数が減り始めている。家族意識の変化の背景には社会構造の急変や家制度廃止があると考えられる。 児童福祉法施行までにも目の前にいる浮浪児

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            家庭外ケアー児童数の国内比較

            家庭外ケアーの海外比較に次いで、国内の比較を見てみます。都道府県などを比較した表が国から公表されていますが、図表が細かくなりますので、保護率の高い自治体と低い自治体を抜き出したグラフです。ここでの保護率とは、親子分離と同義となります。 西の地域が子どもの保護率が高く、東の地域が低いことが分かります。この傾向をどう考えるかです。 1 家庭機能が西は弱く、東が強いと解釈できるでしょうか。日本は何処も同じ家庭環境にあり、多少の地域性はあるものの、子どもが話題になる事案は全国

            養育里親の歩み(その2)

            2)明治~昭和戦前明治政府は前の時代の施策を引き継いでおり、江戸の町にあっては庶民の福利は御用商人が委員となっていた町会所(明治5年に営繕会議所に改編)に委ねられていた。窮民対策として治安の維持の面から救護所(養育院の前身)を設けており、そこでは親と一緒に保護されることもあれば、捨て子として保護される場面もあった。 東京府養育院にあっては、明治10年「幼童縁組並びに雇預」制度によって乳幼児については授乳の可能な夫婦に預け養子縁組を目指し、7歳以上の子どもは文字と算盤を教え

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            児童養護施設入所児童の当事者心理を学ぶ(その2)

            忘れがたい物語私には16年間の施設生活でこの「家庭引取り」をめぐってある忘れがたい物語があります。私は自分の親の名前も顔も知らずに施設で成長しました。小学校3~4年生までは重症の夜尿児童でした。どんなに注意をしていても夜尿が治らず困っていました。同じ夜尿児童にT君がいて当時は「おねしょ組」といって一つ布団で寝ることになっていました。冬の冷たい布団にビニールシートを敷き、「今日こそがんばろう!」と励まし合うのですが、翌朝になると二人とも失敗します。 すると二人とも寒い中、汚れ

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            児童養護施設入所児童の当事者心理を学ぶ(その1)

            家庭引き取りをについて 児童養護施設で暮らしている児童の心の中(当事者心理)がもし、覗けるならばそこにはどんな想いがあるでしょうか。想像してみてください。 私は複数の児童養護施設職員と自立援助ホーム長の経験が通算約25年間、加えて2歳から高校卒業までの約16年間を児童養護施設で生活した当事者体験があります。合計およそ40年以上の施設職員及び施設生活経験者になります。その経験を基に施設入所児童の心の中を占めていることの最大のものは何かを考察してみたいと思います。 それは「僕