里親制度のあゆみ(その5)

5)平成時代

 平成の初めの頃は日本中がバブルに浮かれていた。平成7年突然バブル経済が崩壊する。その頃から虐待がマスコミに賑わせはじめた。全国的に非難の嵐が起こり、その矛先の児童相談所ではなす術がない状態であった。社会的養護では虐待を受けた子どもへの対応として、親のいる子供への対応も求められるようになった。里親と言えば、縁組里親が底流にあることに変わりはないが、縁組を目的としない里親制度に世間の関心が向くようになっていった。

平成14年には専門里親と親族里親が加わり、里親の最低基準が徐々に整備され、里親支援事業がスタートした。しかし財政的裏付けが少なく、自治体裁量の余地が大きかったため、養育里親に取り組む自治体は増えることはなかった。

制度の手直しを進めながら平成20年の改正を迎える。養育里親と縁組里親を切り離したこと、ファミリーホームの創設、里親手当を倍の7万円に増額したこと、里親研修を義務づけたこと、里親支援を組織化したことなど、現行の制度の骨格が出来上がって行った。

平成28年の児童福祉法の改正では、国連の児童の権利に関する条約の文言が、児童福祉法第1条に加えられ、子どもの権利を前面に出すことになった。里親の分野では家庭養護の推進が国の方針となり、平成29年「新しい社会的養育ビジョン」の提言でその肉付けなされることになった。家庭養育の実現に向けて大きく一歩踏み出した。

新ビジョンでは家庭養育の重要性を説き、パーマネンシーの考え方から養育里親に加えて縁組里親を奨励している。また、家庭養護を進める目標を都道府県家庭養育推進計画を策定することになり、平成の終わりの時期に新しい動きが準備され、令和に引き継がれていくことになった。

<参考> 
里親支援事業の実施について各年度(厚労省雇用均等児童家庭福祉局長通知)                            
新しい社会的養育ビジョン平成29年(新たな社会的養育のあり方に関する検討会)


青葉紘宇
執筆者プロフィール


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