行方不明の意祁(おけ)と袁祁(をけ)兄弟 神話は今も生きている ことの葉綴り八二三
21000回のスキをありがとう
おはようございます。早いものでもう木曜日!!
皆さん、お元気ですか? 私はバタバタです(笑)が、今朝『21000回スキされました』のお知らせが。誠にありがとうございます。本当に感謝です。
(そのスクショが、ピンとがあわずで紹介できませんでした!残念、苦笑)
さて、六月二日(木)の暦は、六曜は「友引」朝と夕が吉。何事も勝ち負けのない日とされる。十二直は「執」で、物事を執り行う日。祭祀、お参り、婚姻などのお祝いごと、種まき、五穀の取り入れに吉。二十八宿は「角」で、結婚、旅行、建築、家の改修、リフォームに吉。また衣服の新調にもいい日です。
さて、神話の物語に入ります。
一時的に天下を治めた飯豐王
皇子のいらっしゃらなかった第二十二代清寧天皇さまが、身罷られたあと、日継知らしめす王を探し求めることになります。
そして第二十一代、雄略天皇さまが、ご即位される前に殺めた従兄弟、市邊の忍齒王の妹である飯豐王さまが、一時的に天下をおさめられました。
飯豐王さまは、殺された兄の王子の意祁王と袁祁王の行方を探し求めたのです。
まだ幼かった愛らしい甥っ子たちよ……
どうか、無事で生きていてほしい……
父を殺され身の危険を感じた意祁王と袁祁王の二王子は、身分を隠して、苦労の末、播磨国へとたどり着き、志自牟という者の家の馬飼い・牛飼いへと姿を替えていました……でも、その後の消息は分かりません……
まだ、生きているでしょうか?
無事に見つかるのでしょうか?
身分を偽り牛追い・馬追いに
さて、あるときのことです。
山部連小楯というものが、播磨国の国司(長官)に任命されました。
祝いの酒宴が、播磨の国の有力者である志自牟の屋敷で開かれたのです。
宴は飲むや、歌えやと大いに盛り上がり、たけなわになったころ、参加者の身分の上の年老いたものから、卑しい身分の若いものまでの“貴賤老若”の順番で、次々にみなが舞い踊っていきました。
この屋敷の竈では、火焚きの少年二人が火をくべていました。
いよいよみなが舞い終えています。すると参加者の誰からが、「おい、お前たちも舞え」と、声をかけて、彼らにも宴で舞舞わせようと命じたのです。
「かしこまりました」と、一人の少年が続けて「お兄さん、お先に舞ってください」と、もう一人の少年に声を掛けます。
すると、兄と呼ばれたは、「いや、弟よ。お前がお先にどうぞ」と、譲り合いをしたのです。
“貴賤老若”の順ということは、卑しい火焚きで、まだ少年であることは、この屋敷のなかで、もっとも身分も低いということになります。
参加者のものたちは、「先にどうぞ」と互いに譲りある火焚きの少年を見て。「身分は卑しいから、舞など知らぬのだろう。そんなおおごとに譲り合うことではなかろうに……と、笑っていました。
少年たちは、ついに、兄のほうが、見事な舞を披露しました。
続いて、弟が舞う順番となったのですが……。
―次回へ
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