悲劇の連鎖 安康天皇五 神話は今も生きている ことの葉綴り七五四
電気も“当たり前”じゃない
おはようございます。冬へと逆戻りしたような寒さですね。
昨日から冬コートにヒートテック必須です。初めてとなる「電力需給逼迫警報」も出ました。エアコンをつけず、スマホとパソコンは、アウトドア用の電源でまかないました。
今、私たちがこれまで“あたり前”としていたことが、“あたり前ではない”意識を持ち、暮らしに落とし込むもとが必要ですね。
さて、三月二十三日(水)の暦は、六曜は「仏滅」の勝負なしの日。一方、十二直は「成」で、物事が成就する日。新しいことを始めるのにいい。種まき。引っ越し、旅行、開店開業、婚礼に吉。二十八宿は「壁」で開店開業、旅行、婚礼、衣類仕立て・新調にいい日。そして、天が私たちを母のように慈しむ「母倉日」で特に婚礼が吉です。
そして、今日も神話の物語に入ります。
第二十代、安康天皇さまの物語です。
七歳の目弱王は、信頼していた義の父、安康天皇が、実父である大日下王を殺めた仇であることを、知ってしまいます。
その上、母長田大郎女を、皇后として、自分のことも子として受け入れていたのです……。
<神話の物語マガジン>
最新マガジンは、「仁徳天皇さまの物語」です。宜しくお願いします。
目弱王
大好きだった父上の命を奪ったのが天皇さまだった!
七歳の子が、受けとるにはあまりにも重く痛い真実でした。
また、叔父を殺した、安康天皇さまも、目弱王が、この真実を知ったとき、自分への復讐心を持ち、反逆されるのではないか? と、心の中では、常に不安があったのです。
目弱王は、どうなったでしょう?
義父の天皇さまへの反抗心が芽生えた?
ショックのあまり、宮殿を出ていってしまった?
誰にも言えずに、人と関わらなくなった?
いえ……そうであれば、狂った歯車がさらに悲劇へと進むことはなかったでしょう。
七歳の目弱王に芽生えたのは、「憎き父の仇!」という怒りでした。
聖帝と呼ばれた仁徳天皇の御世のあと、兄弟での皇位継承が続いています。それほど、後継者の争いも激しくなっていたことでしょう。
目弱王の父で、家臣のついた嘘が元で誤解を受けて殺された大日下王も、仁徳天皇の皇子です。
後継候補にあがってもおかしくはない存在でもあったでしょう。
目弱王からすると、突然、大好きな父を殺され、母も皇后となってしまった……悲しみと孤独感もひとしおだったでしょう。
七歳の子どもに芽生えた強い感情は、抑えきれるものではありませんでした。
けれど、天皇はじめ、母の皇后も、家臣も誰も、衝撃を受けた子の心を知る由はありませんでした。
そして……。
みなが寝静まったあと、目弱王は、秘かに寝床から抜け出して、神殿へと向かいます。
母である皇后は、すでに神殿にはいませんでした。
一人で眠る義父、安康天皇さまの寝床へと、そっと忍び込んでいきます。
天皇さまが、ぐっすり眠りについているのを確かめると、神床の側にあった太刀を取り出し、天皇さまの頸をめがけて、全力で振り下ろしたのです……。
おおおっーーーーー!!!!!!
おのれ、父上の仇じゃーーーー!!!!
おおおおっっーーー!!!!
そして……天皇さまの頸を切り降としたのです。
―次回へ
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