見出し画像

婚約者の父との戦 安康天皇九 神話は今も生きている ことの葉綴り七五八

弥生最後の週末

おはようございます。天赦日+一粒万倍日+寅の日の昨日は春の嵐のような天候でしたね。皆さん、いかがお過ごしですか? 私は雨が降り出す前に、神社にお参りして、ご神水を頂いてきました(^^)
さて、三月二十七日(日)の暦は、六曜は「友引」で、朝と夕が吉。何事も勝ち負けがないとされる日。十二直は「たつ」で、万物を建て生じる日。物事を始めるのに良い日。神仏の祭祀、お参り、婚礼、開店開業、引っ越し、旅行、衣服の着始めに吉。
二十八宿は「ぼう」で神仏詣でやお祝いごと、婚姻、新たなことはじめに吉。そして、ご神事やお参りによい「神吉日かみよしにち」です。
弥生三月、最後の日曜日。皆さん、佳日でありますように!

さて、神話の物語に入ります。
<神話の物語マガジン>
最新マガジンは、「仁徳天皇さまの物語」です。宜しくお願いします。

画像1

二人の兄を惨殺した末弟、大長谷谷王おおはつせのみこ

第二十代、安康あんこう天皇さまが、養い子の目弱王まよわのみこの手で暗殺されてから、憎しみと悲しみの連鎖が続きます。
「兄の仇を取る!」と、憤怒する天皇の末弟の大長谷谷王おおはつせのみこは、気乗りせず同意しない二人の兄、黑日子王くろひこのみこ白日子王しろひこのみこを殺してしまいます。しかも、白日子王しろひこのみこは、生き埋めにされて命を落としたのです。

その勢いのまま大長谷谷王おおはつせのみこは、兄、天皇の仇をうち復讐を果たすために軍隊を起こします。
このとき、大長谷谷王おおはつせのみこは、まだ少年でした。
兄、天皇の仇となった、目弱王まよわのみこはまだ七歳安康あんこう天皇に、殺された実父、大日下王おおくさかのみこに長く仕えていた、年老いた家臣、都夫良意富美つぶらおほみの屋敷に逃げ込んでいました。

画像2

都夫良意富美つぶらおほみとの戦

家臣である都夫良意富美つぶらおほみの屋敷の周りを、大長谷谷王おおはつせのみこの兵士たちが取り囲みます。

一方、目弱王まよわのみこをかくまう老齢の都夫良意富美つぶらおほみも、兵士を集めて大長谷谷王おおはつせのみこの攻撃に備え、目弱王まよわのみこを守るために戦う覚悟を決めていました。

いよいよ、戦が始まりました。
大長谷谷王おおはつせのみこの軍から、弓矢が都夫良意富美つぶらおほみの屋敷へと放たれていきます。
屋敷の中からも応戦して、矢が飛んでいきます。
両軍から矢が放たれていく……そのさまは、まるで葦の花が風に吹かれて飛び散っていくようだったそうです。

いくら互角に戦っているようであっても、それは一時的なこと。
軍隊の規模、兵士、弓矢の数では、大長谷谷王おおはつせのみこの軍が圧倒的に有利でした。

しばらく戦の様子を見ていた大長谷谷王おおはつせのみこは、突然
撃ち方やめ!
と、攻撃を止めました。

画像4

都夫良意富美つぶらおほみの娘

そして自ら矛を杖のようにして屋敷の門へと近づいていくと、そこから都夫良意富美つぶらおほみの屋敷の中を、覗き込むようにしてから、屋敷の中へと大きな声で呼びかけたのです。

都夫良意富美つぶらおほみよ。聞くがよい。
私が、結婚を言い交した乙女が、この屋敷にいるのではないか?

実は、大長谷谷王おおはつせのみこは、都夫良意富美つぶらおほみの娘である、訶良比賣からひめにプロポーズをしていたのです!

フィアンセ、婚約者の訶良比賣からひめの父との戦だったとは! この復讐、どうなるでしょうか?

画像4

―次回へ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?