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大国主神様の国譲り 神話の力 神様も“失敗”して成長した。百三七

稲佐の浜は、否諾(いなせ)の浜


こんにちは。“長距離移動”を終えた夕方「ことの葉綴り」に向かいます……。


神さまも“失敗”して成長した、神話の物語。

出雲の国の、稲佐の浜に降り立ち、
十拳剣を逆さまに刺したてて、その上に胡坐で座り、
豊葦原の中つ国は、もともと天照大御神さまの御子神のもの。
さあ、そなたの考えはいかに!?」と、大国主神様に
難問を突き付けた建御雷之男神
(たけみかづちのかみ)さま。

大国主神様は、こう仰られました。

私は、年老いて、そのことは私だけの一存では答えられません。
私の息子である。八重言代主神(やけことしろぬしのかみ)に
その返答をさせたいと思います。

とはいうものの、その息子神は、美保の御崎に釣りに出かけていて
不在。

なので、お答えできかねます。


すぐに答えずに、時間を稼ごうとお考えになった大国主神さま。

むむっ……

刀剣の神、建御雷之男神さまも、腕を組まれ、大国主神さまの
目を見据えます。

なるほど……そうきたか……。

すると旅の共で一緒に高天原から地上に降りてきた
天鳥船(あめのとりふね)さまに視線を送ります

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天の鳥船さまは、船の神さまです。
かしこまった……と、
うなづかれると、すぐに出帆されて
美保の御崎で釣りをされていた、大国主神さまの息子神の
八重言代主神(やけことしろぬしのかみ)さまを
お探しになられて、稲佐の浜へと連れてこられた
のです。


ここに、大国主神さま、八重言代主神さま
建御雷之男神さま、天鳥船さまが揃いました。

そして建御雷之男神さまは、再び、天照大御神さまの
言向けを申し上げたのです。

さぁこの話し合い、どうなるのでしょうか?

この豊葦原の中つ国……高天原に譲るのか?
大国主神さまたちは、どうされるのか?

YES NO

この舞台となった、稲佐の浜は、
この国を統べる、譲ることを
否(いな)……または、諾…?!
否諾(いなせ)から
稲佐に変化したといわれているそうですよ。

さぁ、否or諾……結果はいかに?

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福の神・事代主神(ことしろぬしのかみ)


稲佐の浜に連れ戻された八重言代主神さまは、
父神の大国主神さまに向かい、こう仰られました

恐れ多いことでございます。
この豊葦原の中つ国は、天津神、
天照大御神さまの御子に奉りましょう。

そう、国譲りを従順にお誓いになると、仰ったのです。


そして、その後、ご自身が乗ってこられた船を踏みつけられて、
呪術の一つである「天の逆手(あまのさかて)」という拍手(かしわで)を打たれました

すると、その船は青葉繁れる柴垣に変化していきます。
そして、事代主神様は、海中の柴垣の中に籠られご鎮座されたのです。

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この事代主神さまは、「言代主」と
言葉を代わりに述べる者」の意味をもち
「託宣の神」
でもあります。

大国主神さまが、息子の事代主神さまに
最も重要な問いへの返答をさせたのも、
憑依(よりまし)の口を通して、神の意を
伝える意味
があったと考えられています。

時代が変わり、神功皇后や天武天皇の時代にも
「託宣神」として登場するのです。

また、この国譲りのときに、美保の御崎で釣りをされていたことから、  漁業の神さまとしても崇敬されていますし、
七福神のうちの、恵比寿神さまとしても
今も多くの人に崇敬されている、福の神さまなのです。

平和と調和、円満であることを心とされて
戦いではない、国譲りの偉業を成し遂げる大きな役割を果たされました。

兵庫県神戸市の「長田神社」さんでは、商業工業、産業の守り神として、地元の方に「長田さん」と親しまれて、神戸の人々の心のよりどころ、願いを叶えてくださる神さまとして崇敬されています。

島根県美保関の「美保神社」さんでは、


海上安全、大漁満足、商売繁盛、学業、歌舞音曲の守護神としてお祀りされています。
毎年4月には、神話に由来する「青柴垣神事」がとり行われます。一年に一度、身を隠された事代主神さまのご様子を儀礼化し、ご神霊を一年に一度新たにするお祭りです。


神話は今も生きている。
あ~神代からのご神事、一度、お参りして参列してみたいです!!

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―次回へ。

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