マガジンのカバー画像

小説「春枕」

8
運営しているクリエイター

記事一覧

小説「春枕」第四章〜世の中よ道こそなけれ(1)〜

小説「春枕」第四章〜世の中よ道こそなけれ(1)〜

初秋。
感情的に物思う季節。

ある晩、俺は夢を見た。
満開の桜の木が、きらきらと輝いていた。
思わず見惚れていると、桜がこう囁くのだった。

「順司さん、銀座、春枕へいらっしゃい」と何度も。

冗談じゃないが、俺は花を愛でるような柄じゃない。そんな繊細な感性は持ち合わせていない。しかし、その晩、夢に現れた桜はあまりにも美しくて、脳裏に焼き付いて離れなかった。

「銀座 春枕」のワードで検索したら

もっとみる
小説「春枕」第三章〜夕されば蛍よりけに燃ゆれども(2)〜

小説「春枕」第三章〜夕されば蛍よりけに燃ゆれども(2)〜

(つづき)

「蛍が光を発するのはね、求愛行動らしいんです。

 でも、わたしはどんなに彼を想って胸の炎を燃やしても、結局届かなかった。

 好きだったのは、わたしだけだったみたい。彼への想いがあまりに強すぎて、空回りして…彼の目は他の人を追いかけていた。すれ違った結果、わたしたちは深く傷付け合ってしまった。

 わたしはきっと、その彼を忘れることはできないでしょう。

 まるで自らの命を燃やすよ

もっとみる
小説「春枕」第三章〜夕されば蛍よりけに燃ゆれども(1)〜

小説「春枕」第三章〜夕されば蛍よりけに燃ゆれども(1)〜

夏。
熱く胸を焦がす季節。

「若菜さん、こんにちは。いらっしゃいませ」

いつものように、春花さんが笑顔で迎えてくれる。

わたし•緑川若菜と春花さんは、和歌を愛する人が集う同好会で知り合ったお友達だった。

普段は他愛のないことで話に花を咲かせるが、今日はどうしても、彼女に聞いてもらいたいことがあった。

「ねえ春花さん。夏といえば、何を連想しますか。」

「うーん…青空、太陽、入道雲、向日葵

もっとみる
小説「春枕」第二章〜郭公(ほととぎす)鳴くや五月のあやめ草(2)〜

小説「春枕」第二章〜郭公(ほととぎす)鳴くや五月のあやめ草(2)〜

(第二章つづき)

「この桜の木は、輪っかのような木目が2つ、向かい合っています。まるで、2つの魂が引きあっているように見えませんか。

 このような材木を『出会い杢(もく)』といって、一般的に客間に使われたりします。素敵なご縁がありますように、という願いを込めて。

 小百合さんと初恋の人が出会ったのも、きっと何かのご縁。結ばれても結ばれなくても、2人が恋に落ちたというその事実は決して消えません

もっとみる
小説「春枕」第二章〜郭公(ほととぎす)鳴くや五月のあやめ草(1)〜

小説「春枕」第二章〜郭公(ほととぎす)鳴くや五月のあやめ草(1)〜

初夏。

青々とした緑が広がり、生命力に溢れる季節。

わたし笹原小百合は、ここ「春枕」の常連だ。

しばらく体調を崩して入院していて、半年ぶりにお店に顔を出した。

「ここはいつ来ても落ち着くわね」

そう言ってわたしは、扇子を出してあおいだ。

まだ五月だというのに、今日は夏日を記録していて、病み上がりの身体にこたえる。

「ねえ春花さん。今日はわたしの長いおしゃべりにお付き合い下さいね。しば

もっとみる
小説「春枕」第一章〜春ごとに花の盛りはありなめど(2)〜

小説「春枕」第一章〜春ごとに花の盛りはありなめど(2)〜

(つづき)

わたしの頭の中で、満開に咲き溢れた桜の木が風に揺られている。

「美咲ちゃん、また会えたね」
桜が歌うようにささやく。

わたしは思わず、声をあげた。

「あ!わたし、この桜を知っているわ。わたしが産まれたばかりの時に、この桜を見たことがある」

わたしが産まれて間も無くしたころ、母の里帰りに吉野へ行った。母はこよなく和歌を愛した人で、満開の桜の木の下でわたしにそっとささやいたのだっ

もっとみる
小説「春枕」第一章〜春ごとに花の盛りはありなめど(1)〜

小説「春枕」第一章〜春ごとに花の盛りはありなめど(1)〜

春。
百花繚乱の美しい季節のはじまり。 

「あ、さくら」

東京•銀座駅の出口に立ったわたし、二条美咲の目の前に、ひとひらの花びらが舞い降りてきた。

思わず花びらを手を伸ばして受け止めると、それはなんと発光している。
光る花なんて、見たことがない。

あっけにとられていると、花びらはわたしの手のひらを離れ、きらきら輝きながら風に流されていった。

不思議なことに、「こっちへ来て」とまるでわたし

もっとみる
小説「春枕」プロローグ

小説「春枕」プロローグ

わたくしは、桜。

奈良県吉野に自生していた山桜。
山里の集落のはずれに咲いていた、一本桜だ。
集落の人や、吉野を訪れた人たちの心を癒やしてきた。

しかし、100年以上生きたわたくしは、そろそろこの場所を出て、もっと広い世界を見てみたかった。
もっと、たくさんの人と出会ってみたかった。
だから、この木の根っこをバッサリ断ち切らせたのだ。

山の中に林道を通すため、邪魔になった木はすべて伐採された

もっとみる