小説「春枕」第七章〜冬ながら空より花の散りくるは(2)〜
(つづき)
「そう言ってもらえると有り難いよ。
詠み手である清原深養父はきっと、もしもこの真っ白な雪が花であったなら…この雪ぐれの空のかなたが春であったなら…と想像すると、雪は美しく、息を吐く寒さも愛おしく思えてきたのだと思うよ。
かならず冬は終わって、春がやって来るんだ。そう、希望の春がね」
「ふふふ。さすが小説家の卵さんですね。とても詩的です。
翔真さんに美しい春がやって来ますように願いを込めて、沈丁花のお茶をお出ししますね。
わたしとこの桜の木は、心からお祈りしていますよ。」
沈丁花といえば、春の訪れをいちはやく知らせる花だ。春花さんが淹れてくれたお茶は、僕の心をすっかり温めてくれた。
僕は絶対に夢を諦めない、かならず叶えてみせる。そんな勇気が湧いてきた。
🌸
しかし僕は、筆を折った。
結局、夢を諦めたのだ。
これがもし物語なら、「春枕」という不思議なお店を舞台にストーリーを書き、その小説が大ヒットした、という結末を迎えるのかもしれない。
しかし、現実はそうはいかない。
不思議なことに、僕は何かが抜け落ちたように、すっかり創作意欲がなくなってしまった。
何をしているかと言えば、就職活動のかたわら、知り合いの手伝いで、公園に花を植えるボランティアを始めた。それも、近所の人しか来ないような小さな公園だ。
僕は、自分の書いた物語で誰かを笑顔にしたかった。小説家には、結局なれなかった。
花を植えて、水をやり、雑草を取る。ボランティアの作業自体は、とても単純で、ひょっとしたら誰にでもできることかもしれない。
でも、通りすがりの人々は、「こうやって手入れをしてくれる人がいるから、綺麗なお花が楽しめるのね。ほんとうにありがとう」と笑顔で言ってくれる。その笑顔を見るたびに嬉しくなる。
そう、紛れもなく、僕は今が一番幸せだった。それも、今までに味わったことがないくらい、満たされていた。
冬植えの球根を植え付けながら、僕はやがてやってくる春に思いを馳せてワクワクしていた。
通りすがりの人たちが咲いた花を見て、どれだけ喜んでくれることだろうか。
僕は別の形で「人を笑顔にしたい」という夢を叶え、ささやかだけれどとても大きな幸せを手に入れた。
「春花さん、ありがとう」
春枕は、僕に一筋の光を与えてくれた。
(第七章おわり)
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