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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2021年10月の記事一覧

「正解」「不正解」は隣り合って置かれた選択肢だったりする

「正解」「不正解」は隣り合って置かれた選択肢だったりする

「間違えてしまった」ということは、
「それが間違いである」と気づいていないと、
そういう結論を自ら抱けないはずだ。

そしてこれには、始めから定まっている「こうなったら間違いだ」のその内容がわかっていて間違う場合もあるが、間違ってみてはじめてその後で、「ああ、これは間違いだったのだ!」と気づく場合もまた、案外多いのではないだろうか。

つまり、間違えてみて初めて知ることができる(または初めて定まる

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「勝者」にならないかわりに「敗者」にもならないしね

「勝者」にならないかわりに「敗者」にもならないしね

受験だ、就活だ、昇進だ、商売だ、と、
何だか常に「勝敗」はつきもので、
無論「希望者全員受け入れます」社会でもなし、
そうなると絶えず「競争」の中にいる気がしてしまいがちだが。

でも、競争の枠の外側に、
特に勝ちでも負けでもない「別枠」だって存在しているはずなのだ。
が、競争に執心すると、
その別枠の存在が見えなくなってしまったりもする。

「早い者勝ち」だの「弱肉強食」だの、そういうエリアから

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「当たり前」と思うほとんどのものは「もらいもの」

「当たり前」と思うほとんどのものは「もらいもの」

人間には、「自分たちの思い通り」に物事を変えていける力が、実際相当ある。
で、そこそこ豊かな国に生まれ育つだけで、この感覚は、より強く擦り込まれている気もする。「思い通り」になることのほうがむしろ当然のことなのだ、というような感覚。

ごく一例だけれど、疫病だって、医学の力を結集すれば、そのうち封じ込めることができるはず、できないわけがないじゃない?となる。
で、実際にそうなっていくケースも圧倒的

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すべて「なるべく」でいい、「絶対」なんてないのだから

すべて「なるべく」でいい、「絶対」なんてないのだから

「できなかったらどうしよう」という感情は、
良い緊張感をもたらし、より完成度を高める面もあるが、
やはり余計なプレッシャーになる事もまた多い。

自分は気が小さいので、
後者の影響がとても大きくなるから、
あんまり「完璧に」と考え過ぎないほうがいいんだろうな。

「完璧」なんて、
厳密な完成度の基準が他者によって予め設けられてでもない限り、
各々頭の中で設定しているものも所詮違ってくるものなわけだ

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「裏のない表」はなく「表のない裏」もまたない

「裏のない表」はなく「表のない裏」もまたない

14年前の自分のブログを読み返して、ああだのこうだのと付け足しをしてみる。
今回は2007年10月17日、
タイトル『裏のない「表」、表のない「裏」』



このタイトルみたいなもの、存在するか?と考えてみたのだが。
――あり得ない。(「海」と「空」くらいしかない?)

この世のものにはほとんどすべて、表があれば、裏がある。
裏からみれば、その裏に表がある。

紙も、PCも、時計も、ガラスも、ボ

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この世界は「自分が思い描いている世界」でしかない

この世界は「自分が思い描いている世界」でしかない

この企画では、14年前の自分の文章を読み直して考え方の変化などを観察しております。
本日は2007年10月11日の、
タイトル『限られた24時間の「時間割」』から、まずは全文掲出。



「情報」=「世界」ではない、といってはみたものの。

「情報だけの世界」に生きている人にとってみれば、
上記の「=」は、成り立ってしまうのか?

たとえば。
起きている時間のほとんどをネット上で過ごす人にとって

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「人生どうしたいか」より先に「自分がどういう人間でありたいか」を

「人生どうしたいか」より先に「自分がどういう人間でありたいか」を

「人生をどうしたいか」のその手前に、「自分がどういう人間でありたいか」のほうを、先に置いておきたい――と、最近感じてきている自分なのである。

「人生どうしたいか」だと、兎角外側に何かしらを求めてどうにかしていこうとする要素が必須になるけど、「自分がどういう人間に」の場合は、まず自分の内側からスタートするのでもかまわないわけである。――つまり「手っ取り早い」。

もちろん、これもまた、どっちのほう

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具体的に求めず「思いがけない」に出会いたい

具体的に求めず「思いがけない」に出会いたい

「思いがけない」にいろいろ出会いたい気分なので、
この先の具体的展望などを思い描くのは、
抑えめでしばらくいこうかな、と最近思っている。

具体的にあれこれ求めずにいるほうが、
きっと「思いがけない」はやってきやすいのではないだろうか。
「具体的に」というある種の「制限」をかけてしまうと、
たぶん、ものごとがやってくる出入口は、狭くせざるを得ないと思う。
具体的なそのイメージの色を濃くし過ぎると、

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「不幸中の幸い」ってよくできた言葉です

「不幸中の幸い」ってよくできた言葉です

好機が到来した時に浮かれすぎるのもよくないように、
不運の時に落ち込みすぎるのもまたよくない。

ついていない状況の時はあえて
「でもしいて言うならこの中でラッキーな部分は?」
と、意識的に探しにいったほうがいい。

そうすることにより、
「平常時の心のバランス」に近い状態に自ら持っていけそうである。
(もちろんこれは
「そういう時なるべくそうできる自分でいられたらいいよね?」
という、理想論でし

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「マンネリ」?いいえそれは「安心感」

「マンネリ」?いいえそれは「安心感」

よくよく考えてみると、
毎日はそのほとんどが「既視感」だけでできている。

朝目覚めたら、
見知らぬ場所で、
見知らぬものに囲まれ、
見知らぬものを使い、
見知らぬものを食べ、
見知らぬ人にしか会わない
……なんてことはまずないわけであるからして。

「初見」というもののその貴重さもあらためて感じるけれど、
それと同時に、
「既視感」というもののありがたさもしみじみ感じる。

いや、だって、
パッ

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「自分で選んでいる」という意識がないと「不満」になるのかも

「自分で選んでいる」という意識がないと「不満」になるのかも

まず、今年初めの「絵空社サービスセンター」ブログから再掲。
タイトル『自分で選んでいるという意識』



選択肢は限られいたとしても(でもそれは老若男女問わずこの世のほとんどの人が同じことだと思う。望むままに無限に選択肢が用意されている人はいないよね?)、でもその中から 「今、そしてその時々でいつでも、自分で選んでいる」 という実感が、自分にとってはすごく大切なのだ。

「すべて自分で選んでいる

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無気力と自己犠牲

無気力と自己犠牲

・協調性を重んじる
・とにかく徹底的に人に気を遣う
・自己主張は抑える(「私こんなに頑張ってます!」アピールも何なら控えめに)
・人(特に「上の人」)の指示には(どうしてもできないこと以外は)すべて従う
・(暗黙のものも含めて)ルールは絶対
……等々。

――いや、私も結局、これらに則って生きているのである。
この(少なくとも私が生活しているあたりの)社会で「うまく」やっていこうとするなら、「必須

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決めつけてかかると「ガッカリ」にもまたなりやすいし

決めつけてかかると「ガッカリ」にもまたなりやすいし

「幸福とは必ずこういうもので」とか、「不幸とは必ずこういうもので」とか、ガチガチには決めつけないほうがいい気が自分はしている。

振り向くと、割と混ざりあってあったりするものでもあるし。

また、幸も不幸も、どちらも割と、「幸だ!」「不幸だ!」と声高に騒がず直に凝視もせず、ふわーっと後頭部辺りで見てとらえていたほうが、「よいお出汁」が出る気が自分はしている。※個人の好みです。(笑)

塩!(しょっ

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