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「マンネリ」?いいえそれは「安心感」

よくよく考えてみると、
毎日はそのほとんどが「既視感」だけでできている。

朝目覚めたら、
見知らぬ場所で、
見知らぬものに囲まれ、
見知らぬものを使い、
見知らぬものを食べ、
見知らぬ人にしか会わない
……なんてことはまずないわけであるからして。

「初見」というもののその貴重さもあらためて感じるけれど、
それと同時に、
「既視感」というもののありがたさもしみじみ感じる。

いや、だって、
パッとこの世が「見知らぬもの」ばかりの世界に反転してしまったら。
――何だか自分が自分でなくなるんじゃないかって気すらするもの。(笑)

「既視感」とは、
「これまでの自分」と「今の自分」とを繋ぐ、
「目に見えるタイプの」日々の安心感でもあるのだなあ、と
あらためて思う。
(「この目に見える」ということほど、安心感をもたらすものってなくないですか? 「目に見えない」って、やっぱりどこか「不確か」な感じがしてしまうから。)

――いや、「見飽きた風景」なんていうものもまた、
実は心の平穏を構成する大事な要素の一つなのかもなあ、なんてことを、
ふと感じたもので。

「既視感」――そう、見慣れたものばかりに囲まれている、
まったくもって新鮮味の薄い、
そんな私の最近の日々にも乾杯!という気分なのである。(笑)