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すべて「なるべく」でいい、「絶対」なんてないのだから

「できなかったらどうしよう」という感情は、
良い緊張感をもたらし、より完成度を高める面もあるが、
やはり余計なプレッシャーになる事もまた多い。

自分は気が小さいので、
後者の影響がとても大きくなるから、
あんまり「完璧に」と考え過ぎないほうがいいんだろうな。

「完璧」なんて、
厳密な完成度の基準が他者によって予め設けられてでもない限り、
各々頭の中で設定しているものも所詮違ってくるものなわけだし。

だから、もしそれが許される状況であるのならば、
「その時どきのベストを尽くす」という感覚で
何事ものぞむ方が自分向きだなあ。

そうなるともちろん、「その時どきの」なので、
ベストの度合いも、ベストを尽くす為のアプローチも変わる。

でも何か、そうしてバラけたほうが案外、
俯瞰で見ても「味わい」は深い気がする。
――「完璧な仕上がり」って、
思ったより「つまらない」ことも多いんだよな。
(※個人の感覚です。笑)

まとめると、
自分みたいな性格の人間は、

・考え過ぎる傾向があるので考え過ぎない
・気楽にいけるならとにかく気楽にいくほうが吉

ってそれだけの話かもしれないが。

そもそも
「『絶対こうでなきゃ』と思うことによって自分を追い詰めていく」
その結果として、
うまくいかなかった経験や精神的にどんよりしてしまったことのほうが多いのであれば、
「すべてのことは『なるべく』でかまわないのだ」
くらいの気持ちでいったほうがいい
のだろう。
「そういう曖昧さもまた味わいがある」
「だって『完璧』なんて、目指し出したら実はキリがないものだから」
更には
「この世に『完璧』は存在しない。
あると思っていたらそれこそが不全だ。
そもそも『すべてが自分の思い描いた通り』なんて、傲慢ではないか。
――この世に人の意図が及ぶのは「なるべく」の範囲でしかないのだ。
というくらいに思い切って、「開き直った」気持ちでいるほうが、
いろいろ「仕上がり」も上々になる気がするのだ。