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決めつけてかかると「ガッカリ」にもまたなりやすいし

「幸福とは必ずこういうもので」とか、「不幸とは必ずこういうもので」とか、ガチガチには決めつけないほうがいい気が自分はしている。

振り向くと、割と混ざりあってあったりするものでもあるし。

また、幸も不幸も、どちらも割と、「幸だ!」「不幸だ!」と声高に騒がず直に凝視もせず、ふわーっと後頭部辺りで見てとらえていたほうが、「よいお出汁」が出る気が自分はしている。※個人の好みです。(笑)

塩!(しょっぱい!)とか、砂糖!(あまい!)とかそういう感じじゃなくて、いつの間にか出ているお出汁の旨味みたいに。
そこはかとなく、幸も不幸も感じているほうが、その「味わい」はきっと、より「深く」なると思うということだ。

「決めつけ」によって、塩か砂糖の味しか感知できなくなりそうなのも、残念なことであるし。――「決めつけ」てかかれば、つまり「『味』とはしょっぱいか甘いかしかないに決まっている!」としてしまえば、そのアワイの「旨さ」を、ことごとく感じそこねて生きることになるかもしれない。

また、決めつけて自分から取捨選択なんぞをするようになれば、「捨てたものの中にある光るもの」には――それは時間が経ってから光り出す場合もあるし、場所や角度を変えて見ることによって光に気づく場合もあるのに――永遠に気づかない、なんてことも起こり得ると思う。


「まあさ、幸せ?不幸せ?どっちでもいいじゃないですか?」……くらいの、ふわーっとした感じで、ここから個人的には行こうと思っている、っていうそれだけの話でした。(笑)


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