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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2021年9月の記事一覧

「欲」に「不満」が絡まり始めたら

「欲」に「不満」が絡まり始めたら

「欲」って言うと、どちらかというと「欲張り」とか「強欲」とか「私欲」とか、悪いイメージでとらえられそうですが、「意欲」とか、いい意味でも使われることもあるわけです。

「欲」自体が悪いのではないと、私は思う。
しいていうなら、――「欲」の扱い方を、ついつい間違い手違いすることが多い、我々人間が悪いのであります。(笑)

例えば、わかりやすいものでいけば、「食欲」なんかは「健康に生きる」ためになくて

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欲に執着すると逆に欲に取り憑かれる

欲に執着すると逆に欲に取り憑かれる

「欲」こそ清々しいものにしておかないと、せっかくの「楽しい」すら「楽しい」にならんのでは?という話。

「よいこと」「楽しいこと」は、待っていても、なかなか向こうから勝手にやってきてくれる感じでもないのかもしれないな?と、ふと思ったのである。
むしろこちらからどんどんお迎えにいってさしあげる、そんな精神でないと、と。
でも、迎えに行くその道程ですでに楽しい気分が始まっているわけだから、これまたいい

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「余白」の中に生きていたいのだ

「余白」の中に生きていたいのだ

「損だの得だの正しいだの間違っているだの生産性だの効率だの」を、
「常に考え電卓叩き計算し判断し判定し先を読み推測し読み間違えたら反省し」、
……みたいなのから、ただただ、少し、離れたい。

もういっそのこと、「余白」の中にいたいのである。
だから、「余白」だけが欲しい。
今自分の中になるべく、「余白」を生み出すだけの生活がしたい。

余白がいっさいないと、
水とか空気とかみたいな類の「かたちがな

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『朝闇(あさやみ)』が消えていく

『朝闇(あさやみ)』が消えていく

昨日、「今の仕事に就く前までは超朝型人間だった」と書いたのですが、その「朝型であること」についても14年前のブログで言及しておりましたので。

本日は2007年9月23日、タイトル『朝闇(あさやみ)』から一部抜粋。



「夕闇」はあっても、「朝闇」という言葉はない。
(というのを書き出しにしたかったので、ちゃんと辞典検索もしました。)
不思議といえば、不思議。

※2021年追記:
ちなみに「

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「無傷化」

「無傷化」

(今回の話が理想論なのは重々承知の上で書いております。
しかし、それでも、
「こういうふうに持っていけたらいいな」の
「個人的な」理想論を、今回は書きたかったのです。)

(肉体的に殴られた場合にはできないけど、)
「精神的に」殴られた場合なら、
時間差でそれを「かわす」みたいなの、
やろうと思えばできることも、場合によってはあるかもしれんな、と。

あとから「無傷」(またはそれに近い状態)にしち

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撮らなかった写真たち

撮らなかった写真たち

「あんな何気ないことが今になってとても懐かしい」
と思うことは結構ある。

そういう「思い出未満」あたりのことが、
むしろ一番懐かしい気さえしてしまう。

「ちょっと忘れかけ」のところを、不意に思い出せた時に、
「懐かしい」を強く感じることが多いからだろうか。

しかし。
「ちょっと忘れかけ」から「ほぼ忘れた」状態で、
結局そのまま思い出す機会もない――なんてことのほうが、
結局、大量に頭の中に眠

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「人為的なもの」と「人為的でないもの」

「人為的なもの」と「人為的でないもの」

「おそろしいこと」と「かなしいこと」はそれぞれ、
私の中で大きく
「人為的なもの」と「人為的でないもの」とに二分されている。

同じ「おそろしい」や「かなしい」でも、
別物と言ってもいいくらいに
「人為的なもの」と「人為的ではないもの」とで、それぞれ、
種類が大きく異なって感じられる、ということだ。

前者の「人の企みが関わるそれ」は、ただただ恐ろしい、または悲しいだけだ。
(だからできればひたす

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敵認定

敵認定

インターネット上で「敵」を設定して、
牙をむくみたいな行為がよく見られるが。

その「敵」、実在はしているのかもしれない。
が、牙をむいてガーッと言っている「その先には」、
その「敵」は、実はいないことが多い気がするのだ。

別の言い方をするなら、
その「ガーッ」は、
その「本来の敵」の本丸には、
実は全然届かず響かずということのほうが圧倒的に多いように見える。

何て言うか、
手近にいる自分の声

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今日、点した光が、またいつか

今日、点した光が、またいつか

「思い出」の明るい光が、遠い昔に点されたものでも、驚くほどに遠いその時間を越えて、何の気なしに今日という日にまで届いて、照らしてくれたりする。
光の速度は元々すごいものだが、想い出の光が届く、その距離のこれまたすごいことといったら。
意外な昔から、意外な光が届いて、今日の自分の見えにくい手元を照らし出したりするのだ。――ホントにささいな何気ない記憶すら、今日という日を不意に照らしてくれる光になるの

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機嫌よくありたいが、機嫌よく見られようとは思わない

機嫌よくありたいが、機嫌よく見られようとは思わない

「機嫌のいい人」であろうとは、常々思っている。

が、「人から機嫌よくみられる」と、「自分自身が機嫌よくいる」は違う。

だって、「機嫌のいい人に見られた」からといって、「自分自身の機嫌がいい」とは限らないではないか。

――いやいや、別に、他人様に対して「機嫌よく見られたい」と、自分の気持ちを「作る」ことを、全否定するつもりはない。
(私もいまだにこういうの、結局はよくしているほうだと思うし。笑

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「真面目」と「真面目に見える」は別物

「真面目」と「真面目に見える」は別物

「真面目」ってついつい、「他人から見て」つまり真面目に「見えているか」のほうに、意識が向きがち。

でもそれは、「真面目に見える」であって、「真面目」とは違う。
つい一緒くたにしてしまいがちだが。

「真面目」というものこそ、実は、「他人からどう見えるか」より、「自分からどう見えているか」が大事なのではないだろうか。

いや、案外これ、うかうかしているといつの間にか、「他人目線」ばっかりに鋭くなっ

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