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「余白」の中に生きていたいのだ

「損だの得だの正しいだの間違っているだの生産性だの効率だの」を、
「常に考え電卓叩き計算し判断し判定し先を読み推測し読み間違えたら反省し」、
……みたいなのから、ただただ、少し、離れたい。

もういっそのこと、「余白」の中にいたいのである。
だから、「余白」だけが欲しい。
今自分の中になるべく、「余白」を生み出すだけの生活がしたい。

余白がいっさいないと、
水とか空気とかみたいな類の「かたちがないもの」の、
流れが悪くなるのを感じる。

それらは、
力でつかんだりつかまえたりして、押したり引いたり動かすのは、
とても難しい。

……ふぁ~、っと。

ふぁ~、っとしていきたいし、
ふぁ~っ、としていたい。

いつも、もっと「流動的」な、何かでありたい。

ふぁ~っ、としていないと、
もともとそんなに「かたち」なんて持たないはずの自分自身が、
何だか「変形」してしまいそうなのだ。
所詮、「雲みたいなもの」だったはずなのに、
「好まざるかたち」に変形したまま、
戻り方がたぶんわからなくなってしまいそうなのだ。


2021年9月23日追記:
――と、漠然とした内容になってしまったこの記事について、「つまり自分の感じていること、言いたいことは何だろう??」と考えての「続き」または「結論」として、こちら↓を書いてみたので、よろしければ是非に!