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撮らなかった写真たち

「あんな何気ないことが今になってとても懐かしい」
と思うことは結構ある。

そういう「思い出未満」あたりのことが、
むしろ一番懐かしい気さえしてしまう。

「ちょっと忘れかけ」のところを、不意に思い出せた時に、
「懐かしい」を強く感じることが多いからだろうか。

しかし。
「ちょっと忘れかけ」から「ほぼ忘れた」状態で、
結局そのまま思い出す機会もない――なんてことのほうが、
結局、大量に頭の中に眠っている感触があり。
(広大な地下書庫くらい?笑)
ちょうどそこのあたりを、
思い出せたらすごーく懐かしいはずなのに、と。
(一気にバーッと閲覧だけでもできたらなあ……と想像してみたら、それがもしかして「最期」に見られる「走馬灯」ってやつなのか?と思ったり。笑)



写真を意識的にあまり撮らなかった一時期があって、それを今になって後悔している。

「記憶している『実際』が、写真の絵のほうに塗り替えられてしまうから」というのが撮らなかった当時の理由で、で、実際そういう事は一定程度認められるが。

でも、やはり忘れちゃったら元も子も。
写真は記憶のインデックス替わりにもなるのだよなー、と、今更。

写真を何でもかんでも撮る癖をつけると、ついつい「肉眼の目に焼きつける」という作業を蔑ろにしてしまうということは確かにあるんだが。……肉眼で見るより写真を撮る時間のほうが長くなっていたり。(笑)

それでも、自分の頭の中の「忘れてしまったまま一度も思い出すことなく」のたくさんのことを思うと、私は、今になって、その存在がとても気になって仕方ないのだ。