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ショートショート 「熱海の夜」

男ふたり旅。
鈴木と田中は熱海に来ていた。
彼らは夕食を終えて一杯やっているところだ。
旅館の窓の向こうに灯る歓楽街渚町の明かりを横目で見ながら鈴木が言う。

「なあ、田中。今晩は思いっきりハメを外そうぜ」
「ああ。嫁もいねえことだしな」
「ガキもいねえぞ」
「あっはっは!」
「あーっはっはっは!」
「おい、鈴木。お前めちゃくちゃ悪い顔してっぞ」
「お前こそ指名手配犯みたいなツラしてるじゃねえか」
「俺の人相が悪いのは生まれつきだよ。…あ、そうだ」

田中はそう言うと、浴衣の前をはだけて畳の上に寝転がった。
それから目をとろんとさせて、そして閉じた。
唖然とする鈴木を尻目に田中は言う。

「撮れよ」
「え…?」
「写真撮れって」
「そ、そんな趣味ねえぞ、俺」
「ちげーよ。嫁に送るんだよ」
「お前の?」
「バカ。てめえの嫁にだよ」
「は…?」
「分かんねえかな…」
「…あ、そっか!はいはい、そーゆーことね」
「鈴木ぃ~。おめえって男は相変わらず勘が悪りぃなー」
「俺の頭が悪いのも生まれつきなんだよ。…あ、そうだ」

鈴木はそう言うと、徳利をふたつ、寝転がる田中の傍に置いた。
ひとつは立てて、ひとつは寝かせて。
スマホのスクリーン越しに見る田中は見事なまでに泥酔者を演じていた。

「田中。お前、役者になれ。すげーリアリティあるわ」
「そうか?」
「ああ。酒なら6合、ワインなら2本は空けた感じだ。しょっちゅうこんなことやってんだろ?」
「んなこたぁねえよ。ごちゃごちゃ言ってねえで早く撮れって」
「おっけおっけ。…よし、撮れた!」
「どうだ?」
「いいのが撮れたよ。篠山紀信になった気分だ」
「よし。じゃあ、今度は俺がアラーキーになる番だ」
「イケメンに撮ってくれよ」
「ハハ。そういうんじゃねえだろ」

ふたりは入れ替わり、今度は田中がスマホで鈴木の寝姿を撮影した。

「鈴木。お前もいい演技してるぞ」
「ベロンベロンに見えるか?」
「おう。今年度のオスカーはお前に決まりだ」
「ハハ。さてと、写真も撮れたことだし…」

ふたりはそれぞれ自分の妻にLINEのメッセージと今しがた撮った写真を送信した。
先に返信が来たのは鈴木のほうだった。

「あんまり飲み過ぎないでよ~。田中さん、太ったね…だって」
「あははは。余計なお世話だよ。…あ、俺の嫁も返信して来た」
「なんだって?」
「楽しそうだね。お土産楽しみにしてるよ…だってさ」
「土産ってどこ行ったって結局まんじゅうになっちゃうんだよなぁ…。まあそんなことどうだっていいや。メッセージ返しとこ。『もう寝るわ』と」
「俺も返さなきゃ。邪魔されちゃ堪らんからな。えーと…『鈴木のやつ起きねえんだよ。ひとりで温泉入って寝るわ』と。これで良し」

ふたりは目を合わせてほくそ笑む。

「田中。準備はいいか?」
「おっけ」
「じゃあ行くぞ」
「ああ。大冒険に出掛けようぜ!」

鈴木はまず小麦の種を集めに野に出た。
その間、佐藤は土を耕す。
それから力を合わせて水を引き、周囲をフェンスで囲い、種を蒔いた。

「鈴木。出来たな」
「ああ。さっそく食おう!」

ふたりは各々スマホのスクリーンを長押しして労働の成果を味わった。

「なあ、田中。次なにする?」
「そうだなぁ…。温泉作って入ろうぜ!」

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