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ショートショート 「値踏み合い」

この日、鴨居ひさしはフスマ商事の採用面接を受けていた。

「…こちらからの質問は以上です。鴨居さんから何か質問はありますか?」
「気の早い話ですが、採用して頂けた場合、配属先はどの部署になりますか?」

鴨居は予めこの質問を準備していた。
企業側から受けた質問に対しては簡潔に答えるに留めておき、そのあとキャラクターを一変して意欲的な質問をする。
そうすることで従順性と積極性の両面をアピールしようと彼は考えていた。

「いまのところ営業部への配属を予定しております。しかし当社は設立3年目の小さな会社ですから、ある程度ユーティリティーのある人材を求めているんですよ。現に私は営業部に属しておりますが、宣伝や広報の手伝いをすることもありますし、こうして面接を担当することもあります。ちなみに鴨居さんのご希望は?」
「自分では営業か経理の仕事が向いているんじゃないかと思っております」
「何か理由があるんですか?」
「大学では英文学を専攻しておりますが、元々数学も好きなので、数字を扱う仕事に興味があるんです」
「へえぇ〜。数学も得意なんですね?」
「いや、まあ、得意とまで言えるかどうかは…」

鴨居は恐縮するフリをした。

「文理両道か。…いや、そんな言葉ないな」
「はは。自分で言うのもなんですが、暗算なんかは割と得意です。実務上は役に立たないでしょうけど…」
「そんなことはありませんよ。暗算が得意な人は数字に敏感ですから、例えば資料の誤りに気付くのが早かったりしますし、それに得意先との付き合いにおいて暗算の能力が役立つことだってあります」
「そんなことがあるんですか?」
「ええ。例えばお客様から『商品を10セット買うから2割引いてくれないか?』という要望を受けたとしますよね? その際に頭のなかで速やかに損益を計算して『8掛けじゃキツイんで、15%までなら勉強出来ますよ』といったように即答することが出来ると格好が付くでしょ? 『ちょ、ちょっと、待って下さい…』なんて言いながら電卓を探しているようではダメなんです」
「なるほど」
「鴨居さん...」
「はい」
「ビジネスマンはね、そういったやり取りのなかで互いの能力を値踏みし合うものなんですよ」

鴨居は思わず吹き出しそうになった。
なぜなら、鴨居自身が今まさにこの会社を「値踏み」している最中だったからだ。
彼にとってフスマ商事はあくまでも滑り止め企業のうちのひとつに過ぎなかった。
要するに、彼はここが「どうにか辛抱出来そうな会社」かどうかを見極めているのだ。

「そうなんですか…」
「年齢が若いと尚更相手から値踏みされる機会が多くなります。その際に『コイツ抜けてるなー』なんて思われちゃったら、舐められて良いようにヤラれちゃいますからね」
「ヤラれるって、具体的にどういうことが起きるんですか?」
「例えば、儲からない仕事ばかり充てがわれたりとか…。『そのうち美味しい仕事を回してやるから、今は辛抱してくれよ』なんて言われてね。抜けてる奴って簡単に口車に乗せられて、ずるずる利用されてしまうんですよ」
「へぇ~、そんなことがあるんですね」
「そりゃ、相手だって自分が勤めている会社を儲けさせるのが仕事ですからね。私も若い頃は得意先の人間からあからさまにテストされたもんです。わざと難しい話をしてどこまで着いて来れるかを試す人もいましたし、時には飲みに行った先で『ビールを賭けて10回クイズやろう』なんて言われたこともありました」
「10回クイズってあの『ピザって10回言って』ってやつですか?」
「そうそう。バカみたいでしょ?」
「まあ…そうですね」
「でもね、そういうのも一種のテストなんです。やり手のビジネスマンはネクタイを緩めたあとも尚、ちょっとした遊びみたいに見せ掛けて相手の能力を測ったりするんですよ」
「そうなると、いつ何時も気が抜けませんね」
「そうなんです。こっちだって世慣れして来るとわざとバカなフリをして相手を油断させるという高等テクニックを使ったりもします。わざとアホな顔をして『ひざ!』なんて言って頭を掻いたりなんかしてね。ビジネスの現場においては、負ける時はわざとじゃなきゃダメなんですよ。ちなみに鴨居さんはああいったクイズに引っ掛かったりはしませんか?」

鴨居は思った。
ここはひとつ強気なところを見せておこう。
そうすることで、更にポジティブな印象を与えることが出来るはずだ。

「私は自分自身のことを誘導されにくい人間だと思っています」
「自信がおありなんですね?」
「慎重な性格をしているんです。ところであの10回クイズっていうのは、プライミング効果を利用したゲームなんですよね」
「プライ…ミング?」
「はい。先行する刺激を処理することで、続く刺激への処理が促進されたり抑制されたりする効果のことをそう呼ぶんだそうです」
「へえ~、よくそんなことを知っていますね」
「心理学に興味があって本を読み齧った経験がありまして」
「勉強家だなぁ」
「いえいえ、あくまで雑学の域を出るものではありません」
「大したもんですよ。ところで、さっき暗算が得意だと仰いましたね?」
「はい」
「私も得意なんですよ。鴨居さんと同じく子供の頃から暗算が好きでしてね」
「ってことは、理系ですか?」
「そうです。理系です」
「じゃあ、数学のエキスパートですね!」
「そうだ。鴨居さん、ちょっとやってみましょうか?」

鴨居は今度こそ本当に吹き出し掛けた。
このおっさん、ウケるな。
数学の能力を示すことによってマウントを取ろうとしてやがる。
やってやろうじゃねえか。
なんと言っても、俺は文系でありながら数学も得意な万能型の秀才なのだ。
どんな問題でも解いてやるよ。
鴨居はみなぎる自信を押し隠し、あえて狼狽えた演技をした。

「…な、なにをですか?」
「暗算ですよ」
「今ですか?」
「ええ、今です。そうですねぇ…。分数の計算なんてどうです?」
「分数ですか…。出来るかな?」
「テストでもなんでもないので、肩の力を抜いて気楽に付き合って下さい」
「わ、分かりました。頑張ってみます」
「じゃあ、行きますよ?」
「はい」
「3分の1足す5分の1は?」
「15分の8です」
「即答ですね。正解です。じゃあ、今度は鴨居さんが私に問題を出して下さい」
「…はい?」
「私に分数の計算問題を出して下さい」
「は、はぁ…。じゃあ、6分の5引く9分の1は?」
「えー、18分の17!」
「お見事です」
「じゃあ、今度は私が出題しますね。7分の4掛ける8分の5は?」
「うーんと…。14分の5ですか?」
「はい、合ってます。やりますね〜。次は鴨居さんが問題を」
「分かりました。では、7分の2割る8分の5は?」
「ふふ…。7分の2割る8分の5だから…。えーっと、35分の16だ!」
「ちょっと待って下さい、検算します…。はい、正解です。さすがですね!」
「理系ですから。あはは…。じゃあ、最後の問題を出しますよ」
「どうぞ!」
「ロックバンド『エアロスミス』のボーカリストは誰?」
「スティー分のタイラー!…あ」

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