越乃寒梅
お客様から見て、御社は何を優先しているように見えるだろうか?
この問いと向き合えば計り知れない価値をもたらしてくれるだろう。
あるいは目標を設定する上で大切な問いがある。
その問いとは、その挑戦の渦中に身を置けるだけで、幸せな目標とは何か?である。
あなたはコーチなのですね?
そうです。僕はコーチだったんです。
思い出して頂けて光栄です。
それでもその目標達成への道のりにおいて、時に忍耐を強いられる。
我慢では決してない。忍耐だ。
ちなみに大切なもののために耐えることを忍耐と言い、大切なものを怠ることを我慢と言う。
(僕の独断と偏見)これ試験に出します。覚えておくように。
さぁ、今日もチューニングしよう、心の。
ここからは少しあなたのイマジネーションをしばしお借りしたい。
あなたは、あなたが所属するチームと敵地に乗り込む。ところが、その途中敵陣にあなただけ捕まる。
頭から黒い布をかぶされ、手は腰の後ろで縛られている。その状態で椅子に座らされた。
どれくらいの時間が経過しただろう。
朦朧とする頭の中で考えていたらカチャっという音。おそらく拳銃の引き金がひかれた音。
チームの仲間は今も尚、必死であなたを救出しようとしてくれているはずだ。
どうやら銃口を無言で頭に突きつけられているのは間違いないようだ。
もうおしまいだ。
あなたは死の寸前に何を恐れるだろうか?
この時、起こる恐怖は瞬時に大きくふたつに分かれる。
自分の命が他人に奪われる恐怖か?
それとも愛するチームや愛する友、愛する人と会えなくなる恐怖か?
この極致であなたはどっちの恐怖を感じる人間でいたいだろうか?
このようなことは有難いことに日本では考えにくいが、言葉を選ばずに言えば最近やけにお馬鹿さんが増えたように思う。
馬鹿に影響受けたら、この地球上にもうひとりの馬鹿が余計に増えちまう。
ちなみにここで言うお馬鹿の定義は、私は間違ってない、私は正しいという世界に必死でしがみついてる人のことだ。
もうすこし言及させてもらえるならば、正しいの反対は間違っているではない。もうひとつ別の正しいになる。
正義の反対は即ち別の正義となる。
そこでだ。
僕たちは知らないことに、そして自身の信条とは異なる考え方にどう対応すべきかを知っているか?と問いたい。
違いを歓迎する態度。
意見の相違に寛容になる。
それは容易ではない。
その時の自分ってやつを操縦するのは一苦労だ。でも必ず乗りこなせるようになる。だからむしろ価値観にそぐわない意見との出会いを心待ちにしようじゃないか。
ついでに言っておくと、その観点からして、あなた自身があまり気乗りしない時、それが楽しいか?なんて基準を持ち込みなさんな。
それはしんどいか?を持ち込み、その答えがYesならば直ぐに取り掛かろう。
しんどいーめんどいーは絶好のチャンスだから。
どうしてなのか?なぜチャンスなのか?
出来れば避けて通りたいその道は文字通り多くの人が避けて通る。あるいは雑にやっつけようとする。人にやらせる。
その状態をへっぴり腰という。または逃げ腰という。はたまた腰が引けてる人間と言い、腰が入っていないとも言う。つまりは腰砕けだ。
ぎっくり腰になったことがあるだろうか?あれは経験しない方がいい。僕は2回だけなった事があるが、とてもじゃないが歩けない。寝返りさえうてない。そして笑えない。つまり、何も出来ない。
これは身体的な話だが、精神的な側面にももろに当てはまる。
人生は腰が強い奴が成功する。
そして、人生における腰を鍛錬したければ、一見しんどいこと、一見面倒くさいことを愛情込めて、丁寧に取り組むこと。
ここを避けてるうちは腰が入ることは一生なかろうと覚悟しておくといい。
それでも四六時中ポジティブになれるわけじゃないでしょ?と反論する人のために、ヒミツの考え方をお教えしておこう。
真のポジティブ思考とは、決してネガティブとされる感情をポジティブにシフトすることではなく、まして、それを打ち消すことでもなく、ネガティブはネガティブのまま、受け止め、見つめることにポジティブでありさえすれば、それはポジティブ思考だ。むしろ、それこそが真のポジティブ思考なんだ。
だから、この記事もネガティブに読んでくれたって一向に構わない。一見しんどいことを、一見面倒くさいことを無理やりポジティブにシフトしようとなんて考えなくていいんだ。
その自分のネガティブな感情と向き合うことそのものにポジティブでさえあればいいのだもの。
いつも有難う。
※腰のお話で越乃寒梅とはまったく関係がなくてすまない。
By オレの殴り書き
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