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気持ちいい関係
自分のチカラを証明しようとしている
うちは上手くいかない。
そして、大概そのステイトの時は
本人も無意識だから厄介だ。
コンプレックスをバネにするのは
決して悪いことでは無いけれど、
自分のチカラの証明をしようとしている場合、実はコンプレックスを必死で隠そうとする行為になってしまっていること百発百中だ。
しかも、無自覚に気前が悪い。
とにかく気前が悪い。
コンプレックスを見抜かれたくはないからだ。
さらに、そのステイトだとまずいことに
本人だけでは気づけない。
それがさらに悪循環をもたらす。
自分のチカラを証明するってとこに文字通り意識が向いているから、すっかりそんな気前の悪い己の姿も見えなくなる。想像すらできない。
ちなみに勿論、自立/自律はスタンドとしてはとても
いい〝所〟だ。
しかしながら、スタンドが良くてもステイトが悪いと途端に人のチカラを借りれなくなる。
それは人のチカラを借りるってことを甘えと勘違いしているから。
でも、甘えとは自分は全力を出さず、他の人のチカラを頼りにすることだ。
だから、その理屈から言えば、生後7ヶ月目の
うちの息子は甘えには小指すら属さない。
全身全霊、全力で泣いて、彼が出来うる表現をめいっぱい行って親のチカラを
求めるからだ。
そして、きっと彼はやがて他の人にチカラを惜しみなく貸すようになるだろう。
まぁ、僕の平生の姿勢を通じてそのように育ったらの話だが。
にもかかわらず、大の大人が、
自分のチカラを証明する、即ちコンプレックスを隠すことに必死のパッチのステイトだと、他の人のチカラを借りるのにやけに抵抗をする。
借りるという発想そのものがオプションとして削除されている。
いーや本当は借りたいけど借りれないんだ。
借りれないってことは、自分のチカラも自分から借りれないってことを意味している。
何故なら、自分のチカラだけではこれっぽちも生きてはこれなかったはずなのに、それをすっかり忘れてしまい、思いっきり棚に上げている奴に誰がチカラを貸すというのだ?
本人、即ち本人の潜在意識だってそんなステイトでは魔法のランプのチカラを授けられない。
本来、コンプレックスを克服しようとするのは
悪くは無い。しかし、それを隠そうとしているうちは、素直に周りのチカラを借りれないステイトを意味する。
自分ひとりでは決して生きられない。
死んだあとさえも。そして、未熟であり、不完全である自分を受け入れるからこそ、他人も
受け入れることができる。
他人の不完全を許せて、自分のだけは許せないってことは有り得ないのだし。
だからね、他の人のチカラを借りれるってステイトが、実は、既にそのものがもう自分の(借りれる)チカラという逆説の輪郭が現れ始めるのをあなたはお気づきだろうか?
そして、くどいようだが、他の人のチカラを借りれないステイトだとしたら、身のこなしは極めて不自然となり、己のチカラでさえ出し切れない。
他の人のチカラを使えるってことは
自分のチカラをちゃんと使えるってこと。
いいから全力を出す。
そのままに全力を出す。
あと一歩だ。
そして、他の人のチカラを借りる。
あなたも他の人にチカラを貸す。
どうだ?
気持ちいい関係だろ、そっちの方が。
By オレの殴り書き
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