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その時、必ず

誰が言ったか、
生と死を峻別することに意味はない。
他者が認じれば、死者とて生命を持ち、他者が認ずることなければ、生者とて死者の如し。

オレはこう思う。
誰が認ぜようが認ぜまいが〝ある声〟に忠実に生き抜くことさえできたなら悔いはないだろうなと。

それには平生から自らを躾ていかなければ。

躾は、オレの超独断と偏見からすれば、関わる人に敬意と心遣いを如何なる時もごく自然に行為する、人間としての道を生きられるようにすることだから。

即ちそれを、人格を磨く道とも云う。

言っておくけど人格はあなたの口よりおしゃべりだかんね。

そして、その人格は、自分自身の良心の声に従って生きた量に比例して磨かれていく。
良心は、聞こえないフリをするのが簡単なくらい小さい声だけれど、如何なる時も決して聞き違えることはない。

おはよう
ごめんなさい
ありがとう

例えば幼稚園児にでも言えるこれらをどう扱うか?どう現すか?は、まさにこの話。

別の言い方をすれば、頭の中、心、口、振る舞いの信頼残高の総計があなたの人格。
それ故に、何に支配されてきたか?
をしっかり
ミツメテイクヒツヨウガアル。

誰もが何かに支配されている。
しかも気付かぬうちに。

視点を変えてみよう。
あなたの目標はどのような問いと向き合い続ければ達成されるだろうか?

問いが変わらなきゃ、あなたの人生はずぅーーーっと変わらない。

無意識だとしてもあなたが日頃からあなた自身に問うているその辺にあなたを支配するものがあるんだよ。

あとついでに言っておくと、あなたとオレは別々ではない。平等という次元ではなく、ひとつだという意味。

ちなみに唯我独尊ってあるでしょ?
「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」
これはそういう意味だから。
そう言うってのは、別々じゃないってことが前提ってことね。

ってことは、あなたがあなた自身を大切にする時、それは即ち、あなたはオレを大切にしたことになるわけ。あなたが自分を躾たら、それは
即オレを躾たことになる。(かなり本気で言ってます、これ)

そして、
だからこそ、
毎日がSpecial。

なぜならあなたが、オレが今日をSpecialとして扱い、Specialを出現させて生きれば即ちそれがあなたにとって即ちオレにとって即ち世界にとってSpecialになるんだから。
で、Specialにするにはしないことを決めること。

それは全部で三つある。
一つは、後先考えたらつまらなくなるのは間違いないってこと。それだけでSpecialは遠のく。
だから後先は考えない。
例えば
今から映画行かない?
今から?今からかー。いいけど、でも映画行ったら夜ご飯そおくなるし、明日の朝いつもより仕事早く行かなきゃだから…来週にしない?
こんなことやってない?人生でもビジネスでも。まったくドラマティックになる気配がないんですけどーーー笑
理性も大事だけれどほどほどにね。

二つ目はイライラしない。
そもそも人を殺してしまうような人にご機嫌な人っていないんだから。

三つ目は、とてもSpecialとは言えない一日に仮になりそうでも、それでも人生にNoとは決して言わない。

だって万が一、真っ暗闇に覆われて、その中で全てが壊れてしまったとして、仮にそんな日だったとして、
その時、あなたが、即ち、オレがそんな人生にYesと言った瞬間、
その時ね、必ず割れ目から光が射すから。

By オレの殴り書き

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