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人に期待しないのではなく、信頼する。

少し前に、人に期待するのを止めようと決めた。

それは、困っていた私を助けてくれなかった友人に対して、怒ってしまったからだった。

結局自分でなんとかできる程度の問題だったし、自分のために働くことを勝手にお願いして、断られたら怒るなんて、自分勝手だったなと思った。

それだけ聞くと聖人みたいだけれど、結局他人の行動なんて私にはどうしようもできないから、いちいち期待してがっかりするくらいなら期待しない方が楽だな、と思っただけだったりもする。

でも、相手が決めた時間通りに来るはずだという期待ができなかったら、待ち合わせもできなくなる。それに何も期待できなかったら、相手がいきなり殴ってくるかもしれないと怯えながら生きることになるかもしれない。

だから、期待しないってどうしたらいいんだろうなぁと思っていた。

そしてそれとは別に最近、この人は私のことを信頼していないんだなと感じる時があって、それをきっかけに、人のことを信頼して生きたい!と思う自分に気がついた。

この「人に期待したくないけれど信頼はしたい」問題の答えを探していたら、ベストセラー「嫌われる勇気」にたどり着いた。

この本の中で、青年に生き方を説く哲人は、信頼をこう説明する。

他者を信じるに当たって、一切の条件をつけないことです。…もちろん、一切の条件をつけることなく他者を信じていたら、裏切られることもあります。借金の保証人がそうであるように、こちらが損害を被ることもあるでしょう。それでもなお、信じ続ける態度を信頼と呼ぶのです。

一方で、期待についてはこう話している。

我々は、他者の期待を満たすために生きているのではないのです。…他者の評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
そして、覚えておいてください。もしもあなたが、「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思う通りに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。

言っていることは私の「期待しない」と似ている気がするけれど、少し違う。

他者に期待しないのではなく、「期待はする。でも、相手が期待に応えなくても怒らないし、またその次も相手を信じる。」べきであり、それが信頼だというのだ。

もちろん哲人の話を聞く青年は「赤の他人を無条件に信じたところで、利用されて終わりだ。それに信じ切った人に裏切られれば、他者は敵であるというライフスタイルにつながってしまう」と反論する。

しかし、哲人の「裏切られることを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができない。もっと深い関係に踏み込む勇気を持ち得てこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増える」という答えに納得した。これは、私が人を信頼して生きたいと思った根本的な理由かもしれない。

つまり、相手が時間通りに来ると信じて待ち合わせをするけれど、時間通りに来てくれたら嬉しいな、くらいの気持ちでいる。そして、もし時間通りに来ないのであれば、次から信じ方を変えて、時間通りに来なくても困らないよう、暇つぶしができるものを持って行けばいい。

そんなお人好しなことできない!と一瞬思ったが、そこは「嫌われる勇気」でも繰り返される、「自分の課題と他者の課題を分ける練習」次第なんだろうなと思う。

例えば、次の日にピクニックの予定が入っていれば私たちは、晴れて欲しい!と祈る。天気に少し期待する。

でも、当日雨が降ったからといって、本気で空に怒る人はあまりいない。なぜなら、自分に天気をコントロールすることができないとわかっているから。

同じように、他人の行動や気持ちも、自分にはコントロールできないものなのだ。

嫌われる勇気の中で哲人は、自分の課題と他者の課題を分けるのは難しい。それに、全員を信頼しようとしなくても良いと言っている。ただ、関係を良くしたいと思う人がいるのなら、その人を信頼し、仲間だと思った方が、世界が明るくなる。

確かに、人を疑って期待せずに生きるよりも、相手にも自分にも、誰かの期待に縛られず自由に生きる権利があるのだと受け入れて、その上で仲間として信頼する方が、人生は楽しそうだ。

嫌われる勇気にある生き方のアドバイスは、正しく生きる方法ではなく、「誰もが今日からでも幸福になれる」方法なんだなと改めて思った。

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