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考えない毎日に、新しさを。

人が考えるのは、何かを疑っている時なのかもしれない。

大学にいるとき、noteに何を書こうかと迷うことが、あまりなかった。

毎日、何かしらの気付きがあったということだ。

でも最近、日本に帰ってから、書くことがない!とパソコンとにらめっこをすることが多々ある。

はじめは、授業のためにリーディングをしたり、友達と過ごす時間が減ったからかなと思った。

しかし、日本に帰ってからも本は読むし、家族や日本の友達と一緒に過ごしている。

何が違うかなぁと思えば、今まで信じていたことを、疑う時間があるか、ないかだった。

日本にいるとどうも慌ただしくて、読んだ本を自分の考えと照らし合わせる時間がない。

読んで、読みっぱなしなのだ。

でも、本の本領が発揮されるのは、「ふーん」と思ったことを「これか!」と実感したり、「そうかなあ?」を「なるほど!」にしたときだ。

そうすることで初めて、本に書いてあった誰かの言葉が自分の知識となり、それを自分の言葉で話せるようになる。

会話もそうで、近況を報告しあうだけでは、なかなか考えることには繋がらない。

どうするべきか、どうしてそう思ったのかを掘り下げあってはじめて、自分が盲目的に信じていたことを疑い、感じていたことを分析することができる。

哲学は、「問いの学問」と言われる。

すでにある問いに答えを出すことよりも、世界では当たり前とされていることに疑問を持ち、それって考えなければならないことじゃない?と問題提起することの方が、哲学では大切なのだ。

このことからも、考えるには、何かを問う、何かを疑うことが必要だとわかる。

では、当たり前だと思っていることを疑うには、どうすれば良いか。

それは、新しいものに出会うことだ。

新しい人。それも自分が今まで出会ったことないような世界を生きている人との出会いは、びっくりするくらい世界を広げてくれる。

たった1時間ほどの会話でも、一日中脳がフル回転する。

新しい場所でもいい。新しい本でもいい。いつもの人と新しいことを話すのでもいい。

今ある自分をフル活用するのと一緒に、今の自分を育てることも意識していきたい。

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