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健全に自分に酔える人って最強だと思う。

【自己中心的】って、あまり良い印象のない言葉。わがまま、人のことを考えない、「世界は俺/私を中心に回っている!」……そんなイメージがある。

でも最近、「自分が中心であること」と「その時に他人を蔑ろにすること」は、必ずしも一致しないんじゃないかって思えてきた。【自己中心的】【独善的】って、似ているようで違う気がする。

私の尊敬している人で、「この人の世界は間違いなく自分を中心に回っているんだろうな〜」と感じさせる人がいる。その人は基本的にいつも会話を仕切るポジションにいるし、どんなトピックでも持論をめちゃめちゃ語る。

でもそれと同時に、周囲に質問をたくさん振るし、人の話を心底面白そうに聞く。話し上手で、聞き上手なのだ。

そんな姿を見ていて思うのは、「この人は確固たる軸や価値観を持っていて、その上で自分を高めていくことが好きなんだろうな〜」っていうこと。

ひとつひとつの会話が、他人との触れ合いが、自分をバージョンアップさせると知っているから、いつも聞く体制が万全なんだと思う。

だからその人は【自己中心的】ではあるけど、【独善的】ではないと感じる。人の意見や価値観を尊重しその中から必要な部分を取り込むけど、その時に「取り込まれなかった部分」を否定することは決して無いからだ。

そしてここでの【自己中心的】って、健全な自己陶酔みたいなものだと、私は思っている。それはうぬぼれとは少し違っていて、要するに根拠なく自分大好き人間、自分ファースト人間になってみることだ。

ものすごーくかっこつけた言い方をすると、「自分の人生の主人公は紛れもなく自分なんだから、自分が成長すること、変化することに伴うあれこれを厭わしく思う必要はないよ。だけど人はみんな対等なんだから、仲間を傷つけたり卑下するやり方はだめだよ」みたいなところだろうか。

もちろん他者に与える姿勢はとても大事だし、自分が与えてもらうことばかり考えている人間にロクなことは起きないと思う。(自戒も込めて)

しかしまず自分を愛せないことには、それは単なる自己犠牲になってしまう。そして、自己犠牲ってずっとは続かない。(自戒も込めて)

だからまずは一度自分に大いに酔ってみて、その上で他者と対等なやり取りをすると、人生楽しいんじゃないかなと、ざっくりした意見だがそんなふうに思う。そういう人って接していて不快になったりしないし、むしろ滲み出る自信に惹きつけられるくらいだったりする。(人の受け取り方が千差万別なのは前提)

今こんなことを書いているのは、単純に自分がそういう性格に憧れているから。最近色々なきっかけから、私はもっと向上心を持つべきだよなあ、なんて思ったから。

過去の話になるが、私は高校の倫理の授業で「どんな時も他者の人格を『手段』にしてはいけません。『目的』としなさい(要約)」というカントの格言を知って以来、けっこう長い間これを真に受けていた。

誰かに頼るとか、相談するとか、単純にその人といて自分が楽しいだとか、そういう場面でいちいちこの言葉がよぎった。

「私はこの子を自分の利益を生むための手段にしていないだろうか」みたいなわけの分からない悩みで、自分にブレーキをかけまくった。もっと他に共感する格言あっただろ、と思う。

(最近「人間はそんなに論理や理性で動く生き物じゃないことを、真由ちゃんはもっと分かったほうが良いよ」と上司に言われ、この時のことを思い出した次第。)

こんなことをうだうだ考えて薄っぺらい人間になるよりは、もっと軽やかな人付き合いの中で、お互いがハッピーになれるようなやり取りをしたいなと。もうはたちになった私は切実に思っています。

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