マガジンのカバー画像

短歌と和歌と

177
中学生向けに和歌・短歌を語る練習をしています。短歌は初学者。和歌は大学で多少触れたレベル。
運営しているクリエイター

#新古今和歌集

【新古今集・28】幽閉の後白河

【新古今集・28】幽閉の後白河

まばらなる柴の庵に旅寝して
時雨に濡るる小夜衣かな
(新古今集・冬歌・579・後白河院)

隙間だらけの
粗末な小屋で
旅の一夜を過ごして
時雨に濡れる
私の夜具よ

 小夜衣は要するに着る毛布です。ぬくぬくしてる後白河院。
 しかし詞書には「鳥羽殿にて、旅宿時雨といふことを」とあります。後白河院は京で清盛と対立して鳥羽殿=鳥羽離宮に幽閉されました。その時の歌とすればぬくぬくしている場合ではありま

もっとみる
【新古今集・27】爺ちゃんは冬に泣く

【新古今集・27】爺ちゃんは冬に泣く

冬を浅みまだき時雨と思ひしを
絶えざりけりな老いの涙も
(新古今集・冬歌・578・清原元輔)

冬がまだ始まったばかりなので
ずいぶんと早く時雨が降るものだと、
思っていたというのに
絶え間なくこぼれることだ
老いを嘆く私の涙も

 清原元輔は『古今集』が成立した直後の908年に生まれた歌人です。村上天皇がチョイスした「梨壺の五人」という戦隊物みたいなチームの一員になってました。この人たちが2番目

もっとみる
【新古今集・26】染まらぬ葉

【新古今集・26】染まらぬ葉

時雨の雨染めかねてけり山城の
常磐の杜の真木の下葉は
(新古今集・冬歌・577・能因法師)

さすがの時雨、その雨も
染めかねておるわ
山城の
常磐の名を背負う杜に育まれた
まことに素晴らしい木々の下葉は

 詞書に「十月ばかり、常磐の杜を過ぐとて」とあります。どうやら体験を詠んだ歌のようです。

 時雨は冬に木の葉を染める雨です。

時雨の雨間無くし降れば真木の葉も
争ひかねて色づきにけり
(新

もっとみる
【新古今集・冬歌23】古い歌

【新古今集・冬歌23】古い歌

神無月時雨降るらし佐保山の
正木のかづら色まさりゆく
(新古今集・冬歌・574・よみ人しらず)

十月になった
どうやら時雨が降っているらしい
佐保山の
正木のかずらの色が
日々美しく色づいていく

 詞書には「寛平御時后の宮の歌合に」とあります。この歌合は889年から893年の寛平年間に行われた古い古い歌合です。『古今和歌集』成立前夜ですね。菅原道真が選んだとも言われる『新撰万葉集』の有力な資料

もっとみる
【新古今集・冬歌22】雨のふり

【新古今集・冬歌22】雨のふり

雲晴れて後もしぐるる柴の戸や
山風はらふ松の下露
(新古今集・冬歌・573・藤原隆信)

雲が晴れたというのに
その後も時雨が降りかかる
小さな我が家の粗末な戸
いや時雨の正体は 山風が吹き払い
松から滴り落ちる露であったか

 家の外ではパラパラと音がします。しかし傘を手にドアを開けるとそこには柔らかな日の光。雨はとっくに止んでいました。
 庭木に風が吹きます。すると葉の上の水滴が飛ばされます。

もっとみる
【新古今集・冬歌21】天気雨

【新古今集・冬歌21】天気雨

柴の戸に入日の影はさしながら
いかにしぐるる山辺なるらむ
(新古今集・冬歌・572・藤原清輔)

山里の庵の粗末な扉に
傾いた日の光は
さしている それなのに
どうして時雨が降る
この山の近くであるのだろう

 職場から自転車で帰っていると雨が降り出しました。それは雨と言うより氷の粒に近くてダウンジャケットに当たるとピシパシ乾いた音を立てます。
 強い風が吹いていました。風が強く吹くと無数の粒が顔

もっとみる
【新古今集・冬歌20】

【新古今集・冬歌20】

神無月木々の木の葉は散りはてて
庭にぞ風のおとは聞ゆる
(新古今集・冬歌・571・覚忠)

神無月ともなると
木々の木の葉は
すっかり散ってしまって
枝ではなく庭で 木の葉を吹く風の
音が聞こえてくる

  風が吹けば木々が揺れて葉がざわめきます。むしろ風の存在を告げるのが木の葉といって良いかもしれません。

神無月寝覚めに聞けば山里の
嵐の声は木の葉なりけり
(後拾遺集・冬・384・能因法師)

もっとみる
【新古今集・冬歌19】ワックワクだぜ!

【新古今集・冬歌19】ワックワクだぜ!

月を待つ高嶺の雲は晴れにけり
心あるべき初時雨かな
(新古今集・冬歌・570・西行法師)

じっと月が現れ出るのを待っている
すると遙か高い嶺にかかる雲は
今はもうすっかり晴れてしまった
きっともののあわれを分かっているに違いない
初時雨だな

 分かるようで分からない。例えば「月を待つ」の主語。それから「べき」の意味。

 前者は「我」だと考えられてきた。たしかに高嶺も雲も月を隠すものだから月を

もっとみる
【新古今集・冬歌9】赤い涙と山嵐

【新古今集・冬歌9】赤い涙と山嵐

木の葉散る宿に片敷く袖の色を
ありとも知らでゆくあらしかな
(新古今集・冬歌・559・慈円)

 「片敷く」は独り寝の象徴だ。

さむしろに衣片敷き今宵もや
我を待つらん宇治の橋姫
(古今集・689)

 恋人が来るのを待ち続ける橋姫の振る舞いも「片敷き」だった。

 慈円の歌でも橋姫のように誰か待つ人がいるのかも知れない。待ちつつ裏切られているのかもしれない。「片敷き」にはそういう雰囲気がある。

もっとみる
【新古今集・冬歌8】寂しい山里

【新古今集・冬歌8】寂しい山里

おのづから音するものは庭の面に
木の葉吹きまく谷の夕風
(新古今集・冬歌・558・藤原清輔)

 この歌は「山家落葉」という題があって詠まれたものだ。歌の舞台は山里。冬に山なんか行けばそりゃ寒い。誰もいなくて当たり前だ。なんでそんな所を舞台に和歌を詠んだのか。

 由来は海を渡るようだ。『歌枕歌ことば辞典 増補版』は

『万葉集』にはまったくよまれていなかった「山里」が、『古今集』以後、このように

もっとみる
【新古今集・冬歌7】孤独に嵐

【新古今集・冬歌7】孤独に嵐

日暮るれば逢ふ人もなし正木散る
峰のあらしの音ばかりして
(新古今集・冬歌・557・源俊頼)

 これはまた寂しい紅葉。

 日没後に逢う人がいない宣言です。山に滞在しています。一人の孤独な夜が来ます。
 それから正木。正木は柾葛という植物の別名です。古今集の

深山には霰降るらし外山なる
まさきの葛色づきにけり
(古今集・神遊びの歌・1077)

以来人気の紅葉歌材です。色づく姿が愛されました。

もっとみる
【新古今集・冬歌6】大井川と流れる紅葉

【新古今集・冬歌6】大井川と流れる紅葉

高瀬舟しぶくばかりに紅葉葉の
流れてくだる大井川かな
(新古今集・冬歌・556・藤原家経)

 大井川は現代でも紅葉の名所。大井川の観光情報を発信している「大井川で逢いましょう」によれば紅葉スポットだけで5つあるそうです。しかも「Best」です。厳選の5カ所なんですね。

 新古今集でも大井川を歌うのは三首目です。現代風に言えば「大井川の紅葉歌Best3」でしょうか。
 一首目の554番歌はあえて

もっとみる
【新古今集・冬歌4】寝ぼすけ息子・朝の月・紅葉と筏士

【新古今集・冬歌4】寝ぼすけ息子・朝の月・紅葉と筏士

 息子たちは朝が弱い。目がなかなか覚めない。目が覚めた後もご飯を食べる手がゆっくりだ。
 小学2年生の長男が通う小学校までは徒歩で30分ほどかかる。一昨日は7時30分に家を出て学校到着刻限の8時に間に合わなかったらしい。昨日は7時25分に出たが間に合わなかった。冬の寒さで足が遅くなっているようだ。

 ご飯を食べるのが遅いのは身体が目覚めないからかもしれない。そこで今朝は6時20分にベッドから引き

もっとみる

【新古今集・冬歌3】紅葉のダム

 朝、三歳の娘が赤ちゃんになった。
「わたしはあかちゃんだからだっこして」
「きみはさんさいだから、あかちゃんじゃないよ」
「ちがうの、わたしはあかちゃんなの」
 娘は「わたし」を滑舌よく言う。「た」が強めだ。
 本人が赤ちゃんだと主張するなら仕方が無い。抱っこして燃えるゴミを捨てに行った。
 ゴミ捨て場にはネットがかかっていた。娘とゴミで両手が塞がっていた僕は少々困った。すると娘が手を伸ばしてネ

もっとみる