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【新古今集・冬歌21】天気雨

柴の戸に入日の影はさしながら
いかにしぐるる山辺なるらむ
(新古今集・冬歌・572・藤原清輔)

山里の庵の粗末な扉に
傾いた日の光は
さしている それなのに
どうして時雨が降る
この山の近くであるのだろう

 職場から自転車で帰っていると雨が降り出しました。それは雨と言うより氷の粒に近くてダウンジャケットに当たるとピシパシ乾いた音を立てます。
 強い風が吹いていました。風が強く吹くと無数の粒が顔にも当たります。でも風が弱まると粒の存在は感じません。
 ふと空を見上げると月が出ていました。月の周りに雲はありません。氷の粒をもたらす雲は月とは反対側の空にわだかまっているようです。少し遠い空に浮かぶ雲から風が氷の粒を運んできたのです。弱い風では氷を運べないほどの距離がありました。僕の頭の上は明るく月が照っていました。
 少し得したような気もします。一方でなんだか理不尽な目に遭っている気持ちも拭えませんでした。


 歌は藤原清輔のものです。
 沈む夕日。夕日の周りは雲がありません。だというのに日が差し込む自家の庵の周りは雨。不思議な風景です。
 清輔が抱いたのは日の光に出会えた喜びでしょうか。それとも時雨に降り込められている悔しさでしょうか。
 きっとそれは決められるものではないでしょう。どちらともとれる気分が渾然と一体となっています。その決め切れ無さが「いかに」という疑問となって現れているのではないでしょうか。


 


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