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【新古今集・27】爺ちゃんは冬に泣く

冬を浅みまだき時雨と思ひしを
絶えざりけりな老いの涙も
(新古今集・冬歌・578・清原元輔)

冬がまだ始まったばかりなので
ずいぶんと早く時雨が降るものだと、
思っていたというのに
絶え間なくこぼれることだ
老いを嘆く私の涙も

 清原元輔は『古今集』が成立した直後の908年に生まれた歌人です。村上天皇がチョイスした「梨壺の五人」という戦隊物みたいなチームの一員になってました。この人たちが2番目の勅撰集になる『後撰和歌集』を選んだんです。清少納言の父と言った方がイメージがわきやすいかもしれません。『新古今集』の時代からすると2,300年前の伝説的な歌人の一人という位置づけでしょう。

 冬が始まったばかりの時期の歌です。つい先日まで秋風に心を痛めていた日々でした。冬が来たとはいえすぐには本格化するわけでもないだろう。歌人はそんな風に思っていたんです。

 人の思いを尻目に移ろい行く季節。人を置いてけぼりにするかのような景物たちを嘆じる歌というのはひょっとすると定型的だったのかもしれません。清原元輔の前の世代の大歌人・紀貫之にも次の歌があります。

が秋にあらぬものゆへ女郎花おみなへし
なぞ色に出でてまだきうつろふ

(古今集・秋歌上・232)

誰かのものだと 秋とは
そんなふうに言えるものでは無いというのに
女郎花よ
どうしてお前は我が物顔で色に出して
はやばやと変じていくのだろうか

 秋が来ると早々と色を変じる女郎花。何にも先んじて秋=飽きを実践していくかのようなその有り様を嘆じた歌です。

 こうした「まだき」を用いた歌の中には清原元輔の歌に影響を与えたかも知れないものもあります。貫之と同じ『古今集』の恋歌です。

わが袖にまだき時雨のふりぬるは
君が心に秋やきぬらむ

(古今集・恋五・763・よみ人しらず)

私のそでに
こんなにも早く時雨が
降って行く 降り馴染んでいく それは
あなたの心に
恋も移ろう秋が来てしまったからなのか

 「わが袖に」歌も「冬を浅み」歌も早すぎる時雨が涙に重ねられて歌われています。時雨が降り続いていることも同じです。

 上記二首と比べて清原元輔歌で面白いと感じるのは叙景から叙情への転換です。
 予想に反して降り続ける初冬の時雨。そこに寄り添うように流される涙。この結句のおかげで四句までのすべてを老いの涙の比喩にみることもできるでしょう。すると「冬を浅み」は老いを迎えたばかりの自身のことに見えてきます。「絶えざりけりな」はもちろん流され続ける涙でしょう。
 40歳を超えたばかりでは老いを感じることもあるまいと思っていた自分。その予想に反して老いを感じるばかりの日々。嘆きの涙が止まらない。

 なんだか身につまされてきました。
 

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