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【新古今集・冬歌22】雨のふり

雲晴れて後もしぐるる柴の戸や
山風はらふ松の下露
(新古今集・冬歌・573・藤原隆信)

雲が晴れたというのに
その後も時雨が降りかかる
小さな我が家の粗末な戸
いや時雨の正体は 山風が吹き払い
松から滴り落ちる露であったか

 家の外ではパラパラと音がします。しかし傘を手にドアを開けるとそこには柔らかな日の光。雨はとっくに止んでいました。
 庭木に風が吹きます。すると葉の上の水滴が飛ばされます。先ほどのパラパラはその水滴がカーポートにぶつかった音でした。


 歌は山家時雨を題に詠んだものです。
 歌人の藤原隆信は定家の兄。ただし父は俊成ではありません。母の美福門院加賀が俊成の前に夫としていた藤原為経の息子です。歌人とは言いましたがどちらかといえば画家として名を成した人でした。

 「松の下露」は「この歌以後が、中世和歌でしばしば用いられる句」(久保田淳『新古今和歌集 上』角川ソフィア文庫)だそうです。ひょっとすると隆信の発明なのかもしれません。
 この表現は『太平記』でも使われます。元弘の変で破れた後醍醐天皇が藤原藤房と歌を詠み交わす名シーンです。

さらぬだに、習はせ給はぬ旅寝は悲しかるべきに、夜嵐一しきり松に音して過ぎけるを、雨の降るかと聞こしめして、木陰に寄らせ給ひたれば、下露のはらはらと御袖にかかりけるを、主上御覧ぜられて、
   指して行く笠置の山を出でしより
   あめが下には隠れ家もなし
と仰せられけるを、藤房卿承って、「誠にさこそ宸襟を傷ましめおはすらん」と悲しく覚えければ
   いかにせんたのむ影とて立ち寄れば
   猶袖濡らす松の下露
とつかまつり(以下略)

 このやりとりがあった場所は今でも「松の下露跡」という名で史跡になっています。言葉はこんな風に愛され受け継がれ深められていくんですね。追いかけてみるだけで嬉しくなってしまいます。

☆ ☆ ☆

薄日射す庭に弾けた雨音は
風が揺らした松の下露

   

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