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学校では不可能!子供の個性を育むために最適な選択肢としてのフリースクール

今回は日本の教育の問題点について簡単にまとめた上で、なぜ学校教育では子供の資質が育まれないかについて書いていきたいと思います。

まず、今日本の教育における主な問題点には「画一化された管理教育」という問題があります。

「画一化された管理教育」というのは、私達が今まで学校で受けてきた教育の様に、多くの学校では子供の個性を育もうとしないカリキュラムを強制し、決められた場所に集合してインプット(受け身)ばかりを重視する様な「知識偏重の集合型教育」のことです。

この教育スタイルがなぜ問題かと言いますと、主に以下の様な3つの理由が挙げられます。

① 個人に適したカリキュラムに沿っていない
② 学校で行われる教育が暗記重視・知識偏重型の偏差値教育になっている
③ 社会に出たことを想定したキャリア育成ができていない


① 個人に適したカリキュラムに沿っていない

まず「個人に適したカリキュラムに沿っていない」という点ですが、これは集合型教育の特徴にある通り、一人の講師に対して多数の生徒が授業を受けるスタイルのため、どうしても個別に特化したカリキュラムの提供ができず、大勢に同じカリキュラムを提供することしかできないという状態が発生します。

それによって、個人個人の子供たちの適正に沿ったカリキュラムが提供できないため、個々の才能を開花させにくくなってしまうのです。

例えば、動物が大好きな子がいたとしてその子が、動物に関する知識を覚えることは誰よりも情熱があり、動物が取る特定の行動について誰よりも向上心を持って研究できるという資質を持っていたとしても、

1時間目は国語、2時間目は数学、3時間目は英語…といった感じで固定化されたカリキュラムを強要されれば、一向にその子の才能を開花することは出来ません。

しかし、その子が動物研究に没頭できる教育環境を提供できれば、その子の才能はより早く開花させることができるため、10代でも大人顔負けの才能によって世の中に多くの付加価値を生み出し、社会的に意義のあるコンテンツを誕生させられるため、多くの人を幸せにすることが出来るのです。

もしこの子が、そういった才能を活かすことで、将来「ムツゴロウさん」や「さかなクン」のような存在になるようなことを考えれば、如何にこの集合型教育が子供たちの個性を育むことを阻害しているかが容易に想像できるかと思います。

逆に言うと、個性を活かすことができない代わりに、みんなが同じ様な能力をある程度同じレベルで身につけさせられるというメリットがあります。

これは「作れば売れる!」という大量生産・大量消費時代であればよかったのですが、現在の様に単純に作るだけではたとえ良質な商品であったとしても売れないという時代では、このような集合型の教育だけでは子供たちが社会に出て活躍する素養を養うことは出来にくいと言わざるを得ません。


② 学校で行われる教育が暗記重視・知識偏重型の偏差値教育になっている

これは簡単に言ってしまえば、テストの成績でしか個人の能力や資質を評価しないという問題点のことを指しています。

この問題点については、先ほど挙げた①の「個人に適したカリキュラムに沿っていない」という問題点とも共通することが多いのですが、明確な違いとして、①の問題点は個人に適したカリキュラムを提供できないことによって個々の才能を開花出来ないという点に対して、

②の「学校で行われる教育が暗記重視・知識偏重型の偏差値教育になっている」という問題点は、たとえそれが個々の才能とマッチした分野の勉強であっても、どれだけ大量に知識をインプット出来て、それをどれだけ早くアウトプットできるかといった一つの能力しか評価できない仕組みであれば結果的にその才能は開花しにくいという問題点の違いになります。

要するに、以下の違いがあるということです。

① 個人に特化できていない
② 個人に特化できても活かす仕組みがない

そして、仮に①の問題点が解決できても、②の問題点が解決できなければ、全く持って社会で生きていくための実践的なスキルを育成することは出来なくなってしまいますので、結果的に実践から得られる貴重な経験や結果に結びつける方法論を学ぶことが出来なくなってしまいます。

そのため、折角優れた資質を持ちながらも、それを活かす場を見出せずにその他大勢の中で紛れて個性を開花することが出来ないという不幸に見舞われてしまうのです。

ですから、評価制度自体を変えなくてはいけませんが学校や行政に任せていても一朝一夕には解決できないため、それを評価して活かす場を民間から提供していかなくてはいけないと僕は考えています。

ちなみに、この評価制度を採用することにおけるメリットは、単純に評価・管理する側がやりやすいからという、誠に子供たちにとってはメリットが無いという点にあります。


③ 社会に出たことを想定したキャリア育成ができていない

最後に、社会に出たことを想定したキャリア育成ができていないという点ですが、要するに教育における提供カリキュラムも評価制度も学校が主導している時点で、そもそも社会を想定したことなんてできるはずがありませんので、社会に出た時に必要な力は社会に出て初めて身に付けなくてはいけなくなるという問題点になります。

これは私として長年疑問だったのですが、進路相談と言って生徒の大事な進路を受ける側の先生が一度も就職をしたことがないというギャグのような状態を今も真顔で平然と行っているのが日本の学校教育ですので、こういった状態を是正しなくては、将来自分が会社を起業すべきなのか、民間会社に就職すべきなのか、研究に専念すべきなのかといった方向性をはじめ、その子の個性を見出して社会で活躍するために必要なアドバイスなどできるわけがないのです。

そして、それを外部に丸投げして体裁だけ整えるという悪しき慣習が続いており、そういったことのしわ寄せは、全て我が国を背負う存在の子供たちにいってしまうのです。

私は過去に一度このような状態の学校教育をなんとか改善したいと思い、住んでいた都内の公立中学校に連絡をして、そこの校長先生に自分の思い描く理想の教育像をお伝えし、そのために今学校が何をすべきかを訴える活動をしていたことがありました。

当時、僕は子供たちの個性を見出すためにとにかく「体験」をさせて経験値を積むことで、自分が「最もやりたいこと」「没頭できること」「時間を忘れて取り組めること」を見つけるしかないと思っておりました。

ですので、その「体験」という貴重な機会を経験してもらうために「きっかけ」づくりとして、各分野で輝くリーダーと子供たちを引き合わせ、それによって「あの人のようになりたい!!」という憧れを持った上で、各種分野の「体験」というきっかけを掴んでほしいと思ったのです。

例えばYouTubeでヒカキンさんがゲーム実況をしている動画を見て、自分もヒカキンさんの様にこんな風にゲーム実況を通して人々を楽しませたいといった感じで「憧れ」から「体験」へ繋げられればと考えていました。

ですので、僕は自分がお世話になっている方を含め、今までの人脈なども駆使して、学校では絶対に経験することの出来ない刺激を子供達に提供したいと思ったのです。

そして、この提案に一校の校長が賛同してくださり「ウチの学校の総合学習の時間を活用して頂きながら、是非大村さんにも外部講師として子供たちに授業をお願いしたい!!」とまで言ってくださったのです。

その時は僕もテンション爆上がりで、必死になって子供たちへのプレゼン資料などを作成していたのですが、そんな校長な出だしの時に予期せぬ展開が起きました。

それは、いよいよこれから子供たちに提供するコンテンツの内容を決めるといったタイミングの打ち合わせの時だったのですが、偶然にもその中学校へ僕の娘が入学することが決まったこともあり、その打ち合わせの最後に「そういえば、今度ウチの娘もこちらにお世話になることになりましたので!」と言ったのですが、その瞬間校長が驚いてこちらにこう尋ねてきたのです。

校長先生は「えっ!ということは保護者になられるということですよね!?」

僕は「そうなりますね」と答えたのですが、

その途端「大村さん…今までの話は全て無かったことにしてください」と言われ、目も合わせてくれなくなってしまいました。

僕はびっくりして理由を聞いたところ、特定の保護者の要望を受けてしまうことは贔屓していると批判されてしまいかねないため他の保護者の方へ示しがつかないということで、学校としてはそこまでの責任を取ることが出来ないとのものでした。

その時の校長の代わり様は、まるで阿修羅の三面の如き様相で表情がサーッと入れ替わってしまいました。

正直、その時の変貌ぶりには僕も唖然としてしまう一方で、学校というのは何より自分の立場を優先する大人の集まりだということに心底落胆してしまいました。

それからというもの、メールをしても一切返信が来ない状態となってしまい、こんな組織では子供たちを育むことは不可能だと悟り、僕は学校に一切の期待をすることは無くなりました。

もちろん中には、そうでない学校や先生もいると思いますが正直99%は子供のことよりも組織の保身に走ると思っています。

これは都内の現役中学校の先生を30年以上されており、今は教師を辞めてさまざまな学校の事情に精通している方からも教えていただいたことなのですが、もはや学校という組織は利権や癒着まみれとなっていて、もうそこで改革をして組織を変えることは不可能だという話も聞き、私もその通りだと確信いたしました。

結局学校は子供にとって最適な教育環境を提供することよりも、自分達の保身を選ぶのです。

僕の場合、娘の件を言うまでは一緒に手を取り合って「あなたの様な人が来るのを待っていました!一緒にやりましょう!!」と言っていたにも関わらず、あっさりと手の平を返してしまうことでそれを痛感いたしました。

僕の発信ではただ単純に学校をディスっているかの様に見えるかもしれませんが、こういった学校の保身的な考え方や対応を経験したこと、自分が学生時代に二度のいじめを受けたこと、学校の先生からの教えで人生を変えるきっかけになった様な経験が無かったことなどが基になって、現状の学校教育に可能性を感じていないのです。

でも、こういった「体験(経験)」をした自分だからこそ、子供たちのために日本の教育を変えなくてはいけないと思いますので、そのきっかけとして僕はフリースクールという形で始めていこうと思っています。

予定としては、来年2023年から小さく都内で始めていく予定です!

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