芸術家が知っておくべき大切な3つの教え
人生を歩んでいく上でメンターを持つことは
とても重要なことであると思います。
こんにちは。
音楽家のこうたろうです。
こうたろうが演奏する432hzで調整された
癒しのピアノ音楽シリーズをBGMにいかがですか?
メンターとは単純に技術や仕事を教えてくれる存在ではなく
『教え』や『叡智』を教えてくれる存在。
芸術家は一匹狼でいい、群れない、我が道をいく
一人の天才が世界を変えてやる。
こんなことを考えていた20代でしたが、一人のメンターと出会い、芸術の世界を俯瞰で見る術を教えてもらい、芸術家とは何か?を教えてもらい、未知のものに飛び込む勇気を教えてもらいました。
本日は日本経済新聞主催の #大切にしている教え をテーマに筆者がメンターから学んだ3つの教えをシェア。
1、誰かを気遣い、思いやる心
『君は気遣いが足りない』
とは、筆者がずっと言われ続けていたこと。
当時筆者がなぜこんなことを言われ続けていたのか?
それは先述の通り芸術家は一匹狼でいい、群れない、我が道をいく
なんて考えていたもんだからわがままでどうしようもないただの狼。
つまり獣だったわけです。
芸術家という存在は誰かを気遣い
世界を思いやる心がないとできません。
その心は作品に反映される。
その心を愛してもらう(作品を好きになってもらう)。
と書くととてもぼんやりしてしまいますので
もう少し具体的に落とし込んでいきましょう。
名前を忘れたとき
カリスマ政治家というと誰を思い浮かべますか?
田中角栄という政治家はどの世代でも名前を知らない人はいないであろうカリスマの称号にふさわしい人物かと思います。
彼が人の名前を忘れた時に使うテクニックを知っていますか?
田中角栄氏は有権者に会えば名前、家族の年齢や抱えている悩み、仕事の状況などを瞬時に思い出していたほどの記憶力を持ち、これらの書類を枕元に山積みにし、毎晩寝る前に暗記していたそうです。
どこかで会った時に、『妹さん元気?今年卒業だったね?!』『お母様の腰の具合どう?』『お父様は今年定年退職だったね!これお祝い!』なんてカリスマ政治家から言われるわけです。
嘘だろ・・・ポッとなりますよね。
これほどの気遣いができるには日々の努力の積み重ねが必要になりますが、そんな田中角栄氏だって名前を忘れてしまう時があります。
そんな時、彼はどうするのか?
『そういえば君、名前はなんだっけ?』
と聞くそうです。
それだけかよ!
と思いそうですが、ここからが彼の真骨頂。
相手が、『山田(苗字)です。』
と答えると、彼はこのように返していたそうです。
『そんなことはわかってるよ、下の名前だよ』
カリスマであると同時に気遣いの天才だった角栄氏には他にもエピソードはたくさんありますが、日常から秘書に対してはもちろんのこと、守衛の人間にも毎日労いの言葉をかけたり、自分の運転手の体調も気にかけていたと伝えられています。
2、神々に対するリスペクト
芸術家は信心深さがなければやっていけません。
それはなぜか?
時に人智を超えた存在やパワーを感じる瞬間が訪れるからです。
人智を超えた存在や現象と対峙したとき、神に対するリスペクトがなければ脳が処理しきれないわけです。
日本語の神というのは、必ずしも唯一絶対のGodではありません。
多神教文化の日本だからこその神という概念。
完全と不完全のコントラストが美しい芸術を生み出します。
自然界の収録に出かけると、必ず神々に出会います。
音や映像、写真。
何をどう感じるのか?
これがすべてです。
自然界から神々の
八百万の存在を感じていない人が録ったコンテンツにどんな魅力があるというのでしょうか。
命が動く瞬間
人間が誰も住んでいない森。
そんな森で過ごすのはとっても怖いですよね。
なんで怖いの?
『存在』を感じているからです。
録音機を回して、映像も回して、その間クリエーターは何をしているのか?
音は立てられませんし、自然のままを収録したければ歩くことも難しいでしょう。
ただじっと待つしかないんです。
瞑想なんてかっこいい状態ではありませんが、何か考えても実行できないメモできない、他の作業ができないので、考える意味のない時間。
実質瞑想状態になる。
そして木々や草花をただただじっくり観察していると、太陽に雲がかかり、影になる。
雲が通り過ぎて再び日が差し込んでくる。
そんな時に草花が動き出す鼓動を感じることがあります。
『暖かい・・・』『暖かいよね〜』と、まるで会話をしているような感覚。
そして、その鼓動を感じた時、命の美しさを知ります。
頭のおかしい人だと思われた方もいらっしゃるかもしれません。
メンターからもこういう話をする人はしっかりと選びなさいと冗談混じりに言われたことがあります。
でも、こういうことを声高らかに堂々と言える、発信することはネット時代の芸術家としてとても大切なことだと確信しています。
3、美味しいコーヒーを淹れる
アートと食べるということは密接に関係しています。
豆が呼吸をする様子。
日本酒がおちょこに注がれていく様子。
肉が焼けていく変化。
メンターは過去に割烹料理屋を経営していたほど食の達人。
料理は心、食材とどう向き合うかはとても大切なことです。
ここに向き合えない人は何を創っても向き合えない。
写真家であるメンターの撮影した料理写真を掲載するわけにはいきませんが、メンターが撮影したお料理の写真はまさに命が宿っていました。
もちろん毎日割烹料理屋クラスの食事をするべきという話ではありません。
食や食材に対するリスペクトを持つということ。
それは命に対するリスペクトであり、創造性を考えることと直結します。
まとめ
誰かを気遣うということは、命に対するリスペクトです。
完全と不完全のコントラスト
生と死のコントラスト
光と影
これらを考え、答えを探す旅。
これが芸術なんじゃないか・・・と思うわけであります。
だから手塚治虫氏の火の鳥は芸術作品として評価する人がたくさんいる。
ピカソは常に生を観る時に裏側の死を観ながら描くから世界中で愛され続けている。
命を考えない人がポートレートを撮影できるはずがない。
草花と会話したことがない人が花の写真は撮れない。
森の声を聞いたことがない人が森林の録音はできない。
神のために創られた音楽を知らない人が音楽を演奏できない。
芸術家にとっての大切な3つの教えからどこまで命について考えられるのか?
というお話でした。
では。