【人生を豊かに過ごす】死に関する7つの観察
死の準備、できていますか?
今のところ人間の致死率は100%です。
誰もが必ず体験する死。
しかし、普段日常生活を送っている私たちが死について考察することはほとんどありません。
いつ何が起こって私たちは死を迎えるのか誰にもわかりません。
常に死を意識し、明日死を迎えるかもしれないという死のコントラストが今の生に光を照らし、より豊かな人生を送れるのかもしれません。
本日はそんな死に関する観察を7つ紹介していきます。
死は誰にも平等に訪れる。
釈迦や、イエスも例外ではありませんでした。
人は必ず死を迎えます。
死があるからこそ生があるとも言えます。
不老不死の世界を想像してみるとより生きるためのコントラストであると感じることができます。
人生は一呼吸ごとに短くなっている。
何かを食べる、話す、歩く、飲む、呼吸をする。
ばたきを一回するたびでさえ人生は刻一刻と死に近づいています。
ほとんどの人は死の準備ができていない。
日常を生きる。
ビジネスをしてお金を稼ぎ、使う。
人間関係に悩む。
将来の心配をする。
死の準備に関する心配はほとんどしませんよね。
死という人生のゴール、目的地に向かって今何ができるか考えて準備をすることで、今この瞬間輝くのではないでしょうか。
死の理由は一つじゃない。
冒頭でも引用させていただいたように、死はある日突然やってくるかもしれません。
必ず寿命で迎えるとか、事故で迎えるとか、病気で迎えるなどという決定はありません。
末期の診断が下されてもそれが原因とは限りません。
人間の身体は驚くほど脆い。
人間は安定して酸素を取り入れ続けないと死にます。
またどこかに頭をぶつけてもあたりどころによっては死にます。
人間の生命力は、生きるエネルギーは無限に広げることができますが、物理的な人体という組織はそんなに頑丈ではありません。
物質的なものに意味はない。
たくさんお金を稼ぎ、豪華な家、高級車、素敵なデザインの洋服や宝石、金塊を持っていても、死を意識することでそれらになんの意味もないことがわかります。
たとえ1円玉であっても、髪の毛一本であっても例外なく後に残していかなければいけません。
あなたが必死に集めてきたものは家族や友人、親戚たちに分配されます。
中にはゴミと一緒に焼却されるものもあるかもしれません。
死を迎えるために大切なことはなんでしょうか
釈迦の言う執着を手放せという言葉はこういった面でも生きてくるのかもしれません。
どんなに愛する人も救えない。
すべては1番目の「死は誰にも平等に訪れる。」に通じますが、どんなに愛しる人であろうともやってくる死を避けることはできません。
誰かの死があるということは、誰かの喪失を生み出すことになります。
死を受け入れるということは喪失も受け入れる覚悟と準備が必要です。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
死に対して常に考察し、受け入れることで今日、今この瞬間の生に輝きをもたらせるのかもしれません。
『人生最後の日だとしたら』元ネタ
スティーブ・ジョブズがどこかで読んだという「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」の元ネタはユダヤの教えの中にありました。
スタジオの記事ではユダヤの叡智についてまとめていますので興味のある方は是非読んでみてください。
まとめ
萩尾望都先生の『ポーの一族』、手塚治虫先生の『火の鳥』など永遠の命をテーマとした作品は日本にもたくさんあります。
あなたは火の鳥の生き血があれば飲みたいですか?
永遠を歩むバンパネルラの一族になりたいですか?
欧米では安楽死が合法の国もあります。
人類は科学の発展と医療の進歩で人生100年時代と言われるほど寿命を伸ばしてきました。
健康寿命という概念を考えることができるほど贅沢な悩みを抱えています。
これからの時代は死を意識する、どうやって終えるのかを考える時代に突入したのかもしれません。
今、私たちの死に対する価値観も大きく変わろうとしています。
この記事が決してネガティブではない日常の死について考えるきっかけとなれば幸いです。