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毒親と世間の「親を大切に」という言葉のギャップに悩むあなたへ

(読了:8分)

世の中には俗に『毒親』と呼ばれる人たちが存在する。シングルマザーである私の母も、おそらくその一人だ。

身体的暴力はなかったものの、大人になった今思えば育児放棄に近いタイプの人だった。
私が記憶のある小学生くらいから、家事育児のしんどいところは家族(主に祖母)任せ。仕事が終われば飲み歩き、ずっと家にいなかった。
私が高校受験まっただ中の頃に祖母が病気で倒れてからも、本当に家にいなかった。おかげで私は中高生にして介護と勉強と家事(あとバイトも)で一時期ノイローゼになった。祖母をひどい態度で傷つけてしまったこともある。
それでも家族よりも、外の人間を大切にするタイプの人だった。

また、自分の思い通りにならず気に食わなければ発狂するタイプの母親でもあった。
ちょっとしたことで私が言い返し、母の思い通りにいかなくて『家を出てけ』と叫ばれた回数を数えれば、軽く数百回は超えていると思う。小学生くらいの頃から言われ続け、酷いときは毛布一枚の取り合いで出てけといわれたこともあった。

離婚経験は2回、3回目は事実婚のような状態だったが破綻し実家に戻ってきた。実質バツ3の母親である。かなり破天荒な人だ。

母親は今、私の住所も電話番号も知らない。
関西から上京して数ヶ月で完全に距離を置いた。

ただ、職場などで家族の話をすることはある。さすがに介護や疎遠の話までは重くて話さないけれど、「破天荒すぎる母親だから距離を置いている、好きじゃない」と周りに説明しても、何回もこう言われた。

『それでも親は親、産んで育ててくれたんだし一人しかいない。感謝して仲良くしたほうがいい』と。

きっと、毒親育ちで同じことを言われた経験がある人はたくさんいると思う。そして、その度にちょっと心にささくれができる。だから話さなくなる人もいるだろう。

今回はそんな親と少し距離を置きたい人たちに読んでほしい、「なぜ知らないお節介な人たちが、親に感謝した方が良い、仲良くした方が良いと言ってくるのか」を分析してみた話である。

もうすぐ母の日で、今日が初給料日の人も多い。お節介な上司から「親孝行したか?するか?」と聞かれる時期。
同じような境遇で読んだ人たちの心が、少しでも軽くなったら嬉しい。


○わかり合えない人

まず前提として、毒親とはどういう人かを考えてみる。

今までの日常生活で『この人苦手だな…』と思う人は今までいなかっただろうか?
またテレビやSNSなどで話題になる事件で『こんなことする人いるの?!』と思った人はいなかっただろうか?

会社員の会社への不満として、人間関係がよくあげられることがある。上司と上手くいかない、同僚に嫌いな人がいる、など。場合によっては人間関係が転職理由になることもある。

どんな人にも、必ず“わかり合えない人”は存在する。性格考え方は、大人になってからはなかなか変えられない部分である。

日本だけで1億3000万近くの人間がいて、それぞれの人に個性や性格がある。
その中には平気で嘘をつける人も、他人に共感できないような人もいる。子どもに虐待する人も、他人をいじめて自殺に追い込んでしまうような人もいる。

簡単にいうと、毒親は自分とわかり合えない人“親”としてあたってしまったのだ。
そして自分の親に対して“毒親”という言葉を使う人たちは、身体的か精神的に傷つけられた経験がある人が多い。

もちろん人にもよるが、ただ性格が合わないだけでは、毒親とはならない。性格が合わないという認識だけで、感謝はしている人が多い。
親が原因で自分が傷ついた経験があるから、毒親と呼ぶまでになっている。

子どもは親と大人になるまで20年近く付き合い、性格も行動も見てきている。
素直な子であれば、親と仲良くしようと努力した人たちもいるだろう。私自身も10年ほどは理解し変わってもらおうと思い、頑張ってみたこともあったが無理だった。

子どもとはいえ約20年という時間は長く、その経験で得た結果はわりと確かで重い。わかり合えないという事実、傷ついた経験や感情を、20年目以降に変えることは難しい。

ぜひ想像して欲しい。
『合わないと分かっている、ひどい嫌がらせをされた同僚や上司に感謝し、仲良くしろ』といわれて、出来るだろうか?
子どもにだって、限界は存在する。

それでも毒親育ちの人が『親に感謝し、仲良くしろ』といわれるのには、理由がある。
特に10~20歳以上離れている、自分の親に近い世代の人たちや、子育てしている人たちに。

それは、ぱっと見たときに「毒親育ちに見えない」ことだと思う。


○しっかりしてる=子育て成功

私個人の意見だが、独り立ちしている毒親育ちの人たちは、第一印象で「年齢の割にしっかりしているように見える人」が多い。

そもそも、子どもを傷つけるような親というのは、親が精神的に未熟なことが多いと思う。
子どもの気持ちを考えられる、相手を思いやれる大人ならば、自分の子どもが毒親と呼ばざるを得ないほど相手を傷つけない
例えば、普段生活していて知らない子どもに危害を加えようとする大人はただの犯罪者だ。言葉の暴力でも、人格否定など場合によっては犯罪者になる。ある程度まともな大人であればしない。警察に捕まるし、実際に大人相手に危害を加えて捕まってる人はよくいる。

だから子どもを傷つけるような親は“精神的に未熟だ”と考えると合点がいく。

そして、未熟な親に育てられていると、大体子どもがしっかりすることが多い。だって誰かがしっかりしないと生きていけないから。そうでなければ、そもそも家庭が崩壊してしまっている。

けど実際、人生経験のない子どもがしっかりするのはめちゃくちゃ大変である
一番最初のコミュニケーションの練習になるだろう、親子関係が上手くいってないのである。学校やその他で人間関係のトラブルを抱えないわけがない。それを相談したくても、大人の方がしっかりしていない。なんなら親から問題をふっかけられて親子ケンカになる。
自分でたくさん壁を乗り越えなければならない。一番頼れるはずの大人が全然ちゃんとしてないんだといつしか気づき、気がついたらいろいろ諦めたり少し落ち着いたような子どもになっている。

『年齢の割にしっかりしてる“ような”人間』のできあがりだ。

分かりやすくすると、頭のキレない灰原哀のようなものかと思う。ちょっと考え方が落ち着いてそうな子どもである。(ただやっぱり、異性間など何かしらの人間関係トラブルをもっている人が多い)

そして、その状態で社会に出ると、ぱっと見は“落ち着いてまともそう”に見える。「考え方がしっかりしてるねぇ」なんて言われる。

親を直接知らなければ『子育て成功』に見えてしまうことが多い。
だから、親世代の人や子育てをしている人たちに、「ちゃんと育ててもらったんだから親に感謝しなさい」と言われる。

でも考えて欲しい。毒親育ちの子どもたちは、そもそもしっかりしたくてこうなったわけではない。親は選べず、自分の親が精神的に未熟だったという、完全なる不可抗力の結果で今に至っている。

願うならば、年相応な考え方や経験をして幼少期を過ごしたかったと思う人もいるだろう。
苦労は買ってでもしろというが、実際買わなくて良い苦労もあると思う。特に子どもには。

○溝を理解できると楽になる

世の中にはいろんな人がいるが、世間一般として「親に感謝する」「親孝行」という言葉が浸透している以上、毒親育ちの人間は少数派になりやすい。

多少のわだかまりがあったとしても、『親には感謝し、孝行する』のが一般的である。
家族仲が良かった人や、普通に親に感謝出来る人たちには、毒親育ちの状況を想像し理解するのは難しい。

また子育てしている人たちにも、理解されるのは難しいと思う。子育てが大変なのを身をもって実感している分、「なんで立派に育ててもらって感謝しないの?」となる人が多い。

毒親育ちの人たちと、そうじゃない人たちには必ず溝が存在する。

毒親育ちの人達の経験や感情を、『親を大切に』とお節介に言ってくる人達へ伝えるのはほぼ無理だと思う。

育った環境が違い、親に直接会っていなければ、毒親の行動や人となりは想像すら出来ないことが多い。なんなら直接会っていても、長時間接しないと分からないこともたくさんある。

端から見れば、ぱっと見で『子育て成功』に見えているから、なおさらである。
おそらく、年齢が上の世代の7.8割の人たちには理解されないと思った方が良い。その溝はよっぽどじゃないと埋まらない。

だが溝があることを理解できていれば、少し楽になれる。「親を大切に~」と上司など言われても、聞き流せば良い。
この人は幸せに育ったいい人なんだな~平和だな~と思えば良い。幸せに育ったことは良いことで、その言動にきっと悪意はない。

ありがた迷惑に感じるかもしれないが、どちらかというと毒親育ちは少数派。身の上話をしたのに自分のことを理解されなくても、悪い人ではない。単純に環境の違いでどちらも悪くない。もう、仕方ない。

そうやって、他者との違いを共感できなくても、理解し受け入れつつ、少しずつ折り合いをつけていくと、コミュニケーションが円滑に回る。

私の「なぜ知らないお節介な人たちが、親に感謝した方が良い、仲良くした方が良いと言ってくるのか」という分析と体験談は以上。
誰かの役に立てば幸いです。